責任

立て続けに地上に炸裂する爆弾、無差別に打ち出されるミサイル。
今、テレビで流れる映像に記憶がある。
違っていたのは、地面を這う閃光は森林を駆け抜け、燃え上がる建物は粗末な小屋だったこと。
1960年代に起こった、アメリカがベトナムに仕掛けたベトナム戦争だ。

結局米国はベトナムの人々のゲリラ戦で撤退を余儀されたのだが、あの戦争の責任はどう問われ、だれが負ったのだろう。

言葉が違うかもしれないが、近代国家と非近代国家の力関係のなかで、責任者は結局うまく逃げ切ったというのが歴史的事実ではないだろうか。

いまそれを再び問うのは意味がないことは理解できる。
せめて歴史から学ぶことがあるとすれば、今から先、どんな事態になっても、ウクライナ侵略に責任を負う者をうまく立ち回らせるようなことがあっては断じてならないということだろう。