床屋のパラドックス

ある村でたった一人の医者は、肝臓病専門医だ。肝臓が悪くなり自分で治せない人ならだれでも見るが、それ以外の患者は診ないことで有名だ。

あるとき医者の肝障害を示すGOT,GPT値が上昇していることが分かった。果たして医者はどうするのか。村の酒場はその話題で湧いていた。というのは、

(1)医師が自分の肝臓を治すのであれば、彼は「自分で治せない人」という規則に矛盾し、

(2)医師が自分の治療をしなければ、「自分で治せない人」に属するので、自分で治せない人ならだれでも治療するという規則に矛盾する

からだ。かくして酔っ払いたちの議論は空になったジョッキーのように果てしなく続く。

もちろん有名な床屋のパラドックスのアナロジーだが、今湧きおこっている議論を耳にしてどうしてもこのパラドックスが浮かんでくる。

ある村でたった一人の医者は、ネット上であふれる知識の専門医だ。自分で知識の不足を満たせない人ならだれでも見るが、それ以外の患者は診ないことで有名だ。

その医者の知識が足りないとしたら、誰が医者の知識不足を補うのか、足りない知識は、たとえば”chatGPTは禁止すべきか否かというもの”だったらどうだろう。そんな感じのアナロジーが浮かぶのだ。

仕事がらGPTとなると肝臓の酵素を連想する。空になっていくビール缶を前にchatGPT禁止議論についてふと思った。