プール

 今日、大都会のプールへ遊びに行った。8月最後の日曜だし、少し夏を名残惜しもうという魂胆。
 もちろん、イタリアあたりの観光地へと遊びに行く手もあるが、あいにくどこが観光地かよく知らない。パスポートも申請しなくてはならないし、ついでにどこに申請に行けばいいのかも知らないので、イタリアはしばらくは延期しようと決めた。


 で、台風が近づいていたにも関わらず、プールにはぼちぼちと人が集まっている。
 このプール、その大都市が運営しているだけあって、田舎ではなかなか見られないものが配置されている。
 わざわざ階段で上り、筒状のものをすべり落ちるものとか、屋根の上にのとても大きなバケツがあり、そこに定期的に水が貯まってはこぼれ、下で待ち受けている客に降りかかるものとか。
 なぜ、筒をすべらなくてはならないのか、なぜ、大量の水を浴びなくてはならないのか、見てて不思議でたまらなかったけど、やってみると、これが意外におもしろい。ぜひこの田舎にも一台欲しい。今度、市議選があったときは、ウォータースライダーを公約にあげているものを押そうと思う。
 で、ついでにと、流れるプールに入る。
 ”流れるプール”は、水が流れるプールであって、プールは流れないんだ。”流れる院長”だったら、人生に流がされる院長で合ってる。それなら”溺れる院長”の方がよりいいか、などと浮き輪につかまりながら、ぼんやり考えていたときのこと。
 ふと見ると、プールサイドに見知ったお医者さんがいるじゃない。見知っているというより、以前ある病気をなおしてもらった先生。これからも病気になったとき、どっぷりと頼れるようこちらから大きな声をかけ、丁寧に挨拶したんだけど、それだけじゃない。
 その流れるプールから上がり、いろんな水遊びをしてるときに、医者ふたり、レントゲン技師さんひとり、店主ひとり、バンドマンひとり、に偶然出会った。
 医者は、ひとりは、院長と同じ田舎で開業されている方で、いつ診療でお世話になるやも。
 もうひとりの医者は見たところリッチマンで、その証拠に院長がいつもコバンザメのようにつきまとっているにも拘わらず、煙たがられてない。
 レントゲン技師さんは、院長のバイト先の病院の方で、ていねいにレントゲンの相談に乗ってもらっている。
 店主は、以前通っていた居酒屋のオヤジ。この大都会にあって知る人ぞ知る店で、昨日もテレビで紹介されていたらしい。いろんな企画をやっていて、今度は宮沢賢治の朗読をやるから、知らせてくれるとのこと。行ったらきっと安くしてくれるはずだ。
 バンドマンは、ときどき顔を出すライブハウスで演奏してる方で、出演の際はチケットをロハでもらっている。
 つまり、常日頃、陰ひなたとなって院長を支えてくれている人たちってわけ。ほんとにありがたいことだ。こういう人たちとの親好を深めていると、イタリアだけじゃなくいろんな国で避暑ができるほどの”勝ち組”になれるかもしれない。
 といわけで、さっきと同様、ていねいにあいさつをした。
 で、水遊びの最後にと、もう一度、流れるプールに身を任せながら、考えた。
 なぜみなさん、ここにいるんだろう。
 確かに大きなバケツが近くにないのかもしれない。あるいは、洪水かなにかで、ほんとにプール自体が流れてしまったのかもしれない。
 でもね、大都市だとはいえ、たかだか日本の地方都市なんだけど。
 ということで、なぜだか分からない。分からないけど、来年もまた、みなさんとここのプールでお会いするような気がする…たぶん。

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