パーソナルスペース

ウクライナで戦争が始まった。テレビでも取り上げられているが、その放送時間といえば、全番組時間のほんの数%というのが関の山だろう。

ふと思ったことがある。パーソナルスペース、他社が近づいたときに不快に感じたり防御態勢に入る距離のことだ。

動物ではいわゆるテリトリーのことで生物種や個体によって具体的には異なるが、ヘビだったらカマ首を持ち上げる距離、イヌだったら唸り始める距離のこと。

そして電荷にプラスとマイナスがあるように、負のパーソナルスペースがあるのではないか、と夢想する。これはどれだけ離れれば関心がなくなるのか、という距離のこと。

今のウクライナ情勢の報道を見ていると、具体的な距離だけでなく、国の境までの”距離”、つまり国境という要素が加わった距離というのが当てはまるような気がする。一言でいえば遠いほかの国の話というわけだ。

でも、たとえばどこか遠い国で人類を破滅させるかもしれないような大規模な原発事故があったとすると、どうだろう。
きっと、こと細かに状況が報道され続けるに違いない。

結局、自分たちが危険ではないことを感じられる距離ということになる。

でもこれでは、ヘビやイヌとまったく一緒だ。彼らの負のパーソナルスペースはパーソナルスペースをほんの少し超えた程度のところにあるのだから。

人ってそんなものではないはずだ、とほのかな自己否定をしながら、ときどき流れるウクライナ情勢を眺めている。