家訓

いつかこの院長室を目にするだろう息子たちとその末裔にいいたい。
ここのメモは家訓だ。つまり君たちにとって生きるために役立つヒントを伝えている。飲みたくもないビールをあおりながら長い期間続けているが、ここまで読んでくれた君たちならもう家訓の核心に気づいたことだろう。

一番役に立つのは、この院長室を見ないことだ。

だが今日のメモは違う。

これは3年前の院長のお姉さん指だ。PCを整理していたらいかがわしい写真と一緒に出てきた。
いいか、こうした爪の変化があれば、それはやっかいな病気の可能性があるのだ。
重要なポイントはじわじわとした出血を伴うということだ。

大きな病院を含め、いくつかの診療所をめぐっても診断がつかなかった。いわれるのは「様子を見ましょう」だけだった。
同じ医者として、やっかいな病気への不安感は拭えず、結局、まったく初めての診療所で、ある意味強引に爪を剥いでもらい、その箇所を顕微鏡で診てもらい最終的に診断が付いた。

病名は伏せておこう。頑として答えるつもりはない。

ただ思うことがある。それまでに訪れた医者のひとりでも、なにかおかしいと疑問に思っていてくれさえすれば、きっとこの指はずっとそのままで、今よりましな下手なギターを弾き続けていただろう。

院長はその点ではすぐれている。なにせ医学知識が足りないから、診療にあたってはいつも疑問だらけなのだ。

耳を塞ぎたくなるような院長のギター演奏をもう無理矢理聴かせられることはない君たちは幸せ者に違いない。ついでに、あらゆることに疑問を持ち続けること、その大事さを今学んだこともその幸せに拍車を掛けることだろう。さらには爪に同じような変化があれば強くいろんな検査を主張することの意味を理解できただろう。それは、一生十本の指の爪を切り続ける幸せを得るに違いない。

ただ、なぜこんなわけの分からない院長室を続けているのか、その疑問を抱くことは、家訓として禁ずる。