ハングリー精神

 生まれたばかりのマウスの赤ちゃんは、自分の細胞を食べているかもしれないという記事より
胎盤から栄養をもらっていたのが、この世の中に出てきた途端、”食事”がなくなる。つまり母乳を与えられるまである種の飢餓が襲ってくることになる。それを乗り越えるために、自分の細胞を壊して栄養にしているかもしれないという内容。

 分かる。小学校の運動会の練習のとき、小石を食べたものだから、共感できる。お腹が空けばなんでも口にするものだ。
 体育座りして横に並んでいたアホ友は、こう訊いてきた。「おいしいか?」
 想像力のないやつだった。おいしくないに決まってる。それでも退屈な練習と空腹感がごまかせれば、よかったのだ。
 アホ友に反し、知識に飢えていた少年院長は、その行為から小石だけでなく大石も食べられないことを学んでいた。おいしくない、という言葉で、大石くわない、と理解できたのだ。
 そのハングリー精神は、今も引き継がれている。おかげで、こうしてメモすることがない日も、幼い日の馬鹿話でもなんでも口にすることができるようになっている。

気になる話題がない日でした。

“ハングリー精神” への2件の返信

  1. 重層的でミステリー向き。
    でも、その小学校、悪いとこですね!
    子供に石を食べさすほど飢えさすなんて。

  2.  給食で何が懐かしい? よく鯨の話が出るけど 私は鯨の照り煮が好きでした(・◇・) で 好きな給食は たくさんあったと思うけど 印象深かったのってあります? 私 かきたま汁が印象深かったです。 そしてバリ苦手でした… 片栗粉が溶けてなくて ところどころに どろ~んとした 固まりが残ってて…
     それが 鼻水に思えて おバカだった私は給食のおばちゃん達が 鍋に向かって いっせいに鼻水をふきこんでるかと 真剣に思ってました…。味も塩味だったし…。

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