子供というのは真似をしたがるものだ。先日もそうだ。田舎道をジョッグっていると前方に小学生たちが5,6人いた。
田舎の子供は猿と一緒だ。目と目が合えば付いてくる。長年の経験がそう叫んでいた。だがときすでに遅しだ。こちらに気づいた彼らは構えている。そして子供たちを追い抜くと後ろからついてくるのだ。それもイッチ、ニ、イッチ、二のかけ声付きだ。
だが、おやじとはいえ日頃鍛えている足だ。付いてこれるわけがない。おやじにあこがれても四十年早い。案の定数十秒も経たずに足音は遠のいていった。
性差
物にはあまりこだわらない方だ。普段履いているシューズもどこの国で作られたか分からないものだし、腕時計だって飲み屋で知らないうちにポケットに入っていたものを何年も使っている。だから身の回りのものを買いにいくときは、値段と折り合いがつけばすぐ購入という運びとなる。
顔移植
ストレス
新しいビールが店頭に並んでないか、ビールの値段が下がってないか、いつも目をツマミ皿のようにして生活を送っている。
この好奇心は診療にも及ぶ。なにか新しい病気はないか、生活習慣病のようないろんな病気に潜むその背景を指摘することができないか、いつも皿まなこになって診療してる。”皿”だけに、テンで”血”まなこになっていないせいか、全く見つからない。
腎
院長は心にヒ三つを持っているが、ヒトの体の臓器の数はだいたい一つか二つだ。
たとえば心臓は一つだし、肝臓や膵臓も一つだ。一方肺や眼球は二つある。生き物としてたくさんあればそれはそれでいいのかもしれないが、無駄が生じるのだろう。一つでその機能がまかなえればりっぱなものだ。
歯車
不思議
適量
なんでも適量というものがある。たとえばクリニックの待合いだ。待合いはまぁまぁの広さがある。だが患者が横になったり、あるいはラジオ体操をしたりさらには軽いキャッチボールができるようにと、待ち人数は一人か二人が適量になるようにしている。
それでもその数が埋まる時間は一日のうちにそうもない。診療が終わったあとビールが適量ではすまない理由がお分かり頂けるだろう。
自民圧勝
自民党が圧勝した。民主主義というのは限界のあるシステムで、つまるところは数に帰着する。だから今から先、無茶をしようと思えばできる態勢になったともいえるのだ。
でも待って欲しい。数が勝っているからといって本当にそれですべてが認められるのだろうか。
たとえばビールが仕事に悪影響を与えるからといって、禁酒法が数の論理で通ることなどあってはならないことだ。
青いバラ
バイオテクノロジーとは空恐ろしい。たとえばクローン羊だ。自然界にないものを作り出すことができる。ひょっとしたらカミさんもバイオテクノロジーで造られたのかも知れない。
そのカミさんのイベント事に昨日から今日にかけて付き合い、おかげで体も財布も疲れてしまった。
だがそれに見合う情報を手に入れることができている。なんと青色のバラに出会うことができたのだ。