Yahooニュースに、「結核、稲作と一緒に日本へ渡来?」という記事があった。中国で約5千年前の女性の人骨、とくに背骨の胸椎と腰椎の一部に結核の痕跡が見つかったというのだ。
骨の結核をカリエスという。結核菌が骨を徐々に溶かしていく病気だ。
結核菌はは多くの場合、肺を好むのだがほかの臓器、たとえば脳や腎臓や腸などいろんなところに感染することもある。
学生の頃、なぜ骨が侵されたときだけカリエスという病名が付いているのだろうと不思議に思っていた。肺以外で結核が悪さする場所として、ずば抜けて骨が狙われているのだろうか、だったら仮エースという呼び名の方がいいのではないか、と授業中眠りながら深遠な思考を巡らしたものだ。
それはさておき、このことを発表した研究者は縄文時代の日本列島では結核菌はまだ見つかってなく、弥生時代に渡来したと考えているらしい。
弥生時代とは、大陸から稲作が伝わった時代で、つまり結核は米と一緒に日本にやってきたことになる。
ちょっと待てよ、今の結核菌と弥生時代の結核菌は大なり小なり異なっているはずだ。そのわけは日本で4回目のオリンピックが開かれるまでにメモしたいと思うが、それが進化というものだ。
であれば当時、結核にかかった人はからだのどこかの骨が溶けて一本なくなっていたのではなかろうか。
よく考えてほしい。
現代では肺結核患者の咳は、「ごほん、ごほん」だ。
でも米が伝わったばかりの弥生時代で、どこかの骨が溶けて一本少ない結核患者の咳はこうだったはずだ。
「ごはん、ごはん」
(だからなんだという方は、5回目のオリンピックが開かれるころに連絡いただければと)