キメラ

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 今日のメモは、内容が重い。重すぎて、このメモを開いた途端、画面にくぼみができるかもしれない。
 キメラという空想の動物がいる。ギリシャ神話で語られる、頭がライオンで、体が羊、しっぽが蛇という動物だ。いま遺伝子工学の発展で、これがあながち奇想天外な物語じゃなくなってきてる。さて、人類はどういう立場で望んだものだろうか、という記事があった。
 学校の清掃時間では、重い荷物の運搬の際にはすぐに手を離してきた。今もその癖は治らない。
 簡単に記事の要旨を紹介して、重いこの話題もすぐに終わることにしよう。



2003年には上海大学でうさぎの卵子に人間の細胞を混ぜるのに成功している。昨年メイヨークリニックでは人間の血液を流しても大丈夫な豚ができた。スタンフォード大では一部分であれ人間の脳を持ったマウスができた。
倫理的問題があるのは一目瞭然だ。だけど、いままで人の心臓弁を牛や豚のもので置き換えてきたし、細菌や家畜の遺伝子操作もやってきている。
騒動の原因は、受精して間もない動物の細胞に人の細胞を入れて、新しい種を作ることにある。
たとえば遺伝子操作で、マウスに人の精子と卵子を作らせることも可能だ。その結果生まれてきた人間の”赤ん坊”は、両親がマウスということだってあり得るのだ。
国家的レベルで、この手の研究は禁止される動きがある。
だが近々人の脳を100%持ったマウスができるかもしれない。胎児のマウスに人の脳を入れることでできるこの動物は、アルツハイマーやパーキンソン病の研究などに用いられるかもしれない。もちろん、そうしたキメラマウスは生まれる前に解剖されるのだが。

 もう重い荷物を下ろしてもいいだろう。なにがしかの結論を、このメモに期待してはいけない。それは電気店に行って、専門的な物理の話を店員に訊ねようとするようなものだ。
 ただそういうキメラが出てくる可能性があることは、否定できないところまで、時代は来ていることだけ確認できればいい。
 いくら禁止されようとも、科学者の好奇心や功名心はもちろんのこと、あまつさえ誠実な心であっても、なにかのはずみで他種が組み入れられた人、あるいは人が組み入れられた他種のキメラが出てくるかもしれないのだ。
 そのとき、人はどう対応するのだろうか。この世に生を受けた子供をどう処遇するのだろうか。とくに他種が組み入れられた子供たち自身は悩むだろう。
 もちろん、人として平等に違いない。君たちのことは君たちで決めなさい、などという立場は論外だ。
 キメらのことは、キメらでキメラ、などと茶化す態度は許すべきではない。

だから、重い荷物を持つのはいやなんです。

“キメラ” への4件の返信

  1. 前に テレビでねずみの背中に ヒトの耳が生えてるのを 見た事があるけど… アレって本物?

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