アウフヘーベン

お別れしたのは左のお姉さん指の先。あれから3週ほど経ち、しびれや、ときおり走る激痛にもなんとか慣れてきたが、慣れるに従い募る思いがある。
わたしは右利きだからギターを弾く際、左指で弦を押さる。だからもうギターは弾けないのだ。

音楽というものに対し、人生の大半は聴く側にあったが、心のなかではいつも演奏する側にいるつもりだったし、現実にいろんな場で音も奏でてきた。。クラリネット、ギター、ピアノ、その手段はいろいろだが、いずれにしろこれから先、それがかなわぬものとなってしまった。とくにギター演奏への恋慕は、いくらへたであったとしてもいい表せないものがある。いろんなところでなにげなく流れる音楽、とりわけギターの音を聴くと、なんだかふと瞳に涙がにじむことがある。

でも冷静に考えると、これはデータの喪失なのだ、ということに気づいた。左指にインプットされていたデータが消えうせたのだ。
データが消えたことなんて、いままでなんども経験したではないか。

プログラムを学び始めたころ、何ヶ月も掛けて作ったコードを不注意で、あっという間になくしたことは一度や二度ではなかったじゃないか。
そのときは愕然とし、ばかな自分を呪った。でもお前の瞳は閏ったか? 嗚咽したか? 
そんなことはなかったはずだ。

でも今回は違う。なぜなんだろう。思うに左指に関するあまりに多くのデータがなくなってしまったからなのだ。何十年の練習のたまものが、消えてしまった。その喪失感に涙しているのだ。

パソコンデータの喪失と左指データの喪失。
この違いは、データ量の違いであり、そこにはヘーゲルのいう量から質への転換ともいうべきものがあるのだ。

ヘーゲル弁証法でいうアウフヘーベン、日本語では止揚。

もうどう しよう もない といったメモをしないと、ほんとに今を乗り切れない、