自習

jishuu
 小学生のとき担任の急用で、自習を命じられたことがあるだろう。今教えている看護学校でも院長の休養のため、よく自習をいいわたす。
 この自習という言葉に違和感をもったことはないだろうか。
 そもそも”習う”とはどういう意味か。岩波国語辞典しかないのでそれで引くと、こうなっている。


「① くりかえしまねをして身につける。まなぶ。なれる。② 身についた行動の形式。社会的なならわし。しきたり」
 このなかで当てはまるのはきっと、”くりかえしまねをして身につける”あるいは”まなぶ”だろう。
 くりかえし自らまなぶこと、それが自習の意味だ。
 だが、よほど自主性がなかったのだろう、どうしても”習う”と聞くと、”教わる、教えてもらう”などの受け身的な行為が真っ先に頭に浮かぶ。
 だから自ら教わるとはどういうことなのか、自分で分からないことを自分に教えるとはどういうことなのか。そう悩みながら自習してきた。
 あまり悩みすぎて本が手につかない。ほかのアホなクラスメートも悩んでいたのだろう。なかには本を開こうとしないヤツもいた。
 やがて皆の悩みは極まっていく。口には出さないが、席を立って自習の矛盾をつくものや、話題は異なっているが、おしゃべりで抗議するものが出てくる。
 それはクラス全体のざわめきとなっていく。
 そのとき、生徒に気づかれないよう廊下を徘徊している風紀の教師が急に扉を開ける。そうしてこう怒鳴るのだ。
「静かに自習しろ」
 かくしてアホな連中は、ふたたび自習とはなんぞやということを静かに自問し始める。

このサイトはゲームではありませんが、自分でルールを作って遊ぶようなものらしいです。自習してください。

“自習” への1件の返信

  1. でも、なんか毛糸球と遊んでいてぐるぐる巻きになるような感覚で、さっぱり…
    ↑コメントつけた時点で、自習じゃなくなってますね

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