論理

4月から週に1回、家族でお互いなにかを文章にして披露しようと、提案した。
なんでもいい、思想は問わない。提案した者としては、AだからB、BだからC、もしAがDならEになるかもしれない、というような論理の進め方を文字を書くことで学べれば、との思いがある。
まだ何回もやってなく、目くそ鼻くそをほめるの類かもしれないが、そこそこすばらしい文章がそのつど出そろい、お互い感心しあっている。

そのなかでわたしが提出したひとつはこれ。

わたしはプーチンが好きだ。彼の大ロシア主義には好感がもてる。
何でも大きければいいというわけではないことは分かっている。だが彼の歴史観による大きなロシアというのは一理あると思う。
もちろん武力での統一は非難されるべきであろう。ただ歴史が動くときはいくばくかの血が流れるのも歴史的事実だ。明治維新しかりフランス革命しかり。
流された血はその後の歴史のなかで価値あるものになっていくのだと信じる。
もしわたしがプーチンだったら、今回のような決断はとてもできなかっただろう。やはりプーチンはすごいと思う。

きっと論理はおかしくないと思う。”思想は問はない”との具体的例で書いたのだが、提出した本人がいうのもおかしいが、趣旨にはまったく同意できない。
どこが、かというと大ロシア主義の評価という点につきるだろう。

プーチン大統領はグテーレス国連事務総長に国連憲章に則ってウクライナを侵攻したと語った。
きっとその点を議論してもなにも得るものはないと確信する。

これは論理の問題ではないのだ。