Stelios Arcadiou 略して Stelarc と呼ばれる人物の記事がBBCにあった。
「パフォーマー、芸術と称し第三の耳をつける」というものだ。
腕に耳を再建するというパフォーマンスをやらかした人なのだが、調べてみるとどうやら今年の5月に同じテーマで boingboing などにも取り上げられているようだ。
以下今回のBBCの記事を訳してみた。
Stelarc の呼び名で知られるキプロス生まれの Stelios Arcadiou は人の軟骨で作った余分な耳が体の一部になったと語った。
だが外科医たちは、臨床的な必要性のないこんな手術が行われたかどうか疑問を抱いている。
また先天性耳介欠損を修復するための同じような手術を受けた患者は、この芸術家の仕事は不愉快だと感じている。
61才の Stelarc によればこの手術をやってくれる外科医を見つけるのに何年もかかったという。
この耳は機能しないが、マイクロフォンを植え込み、この耳が拾う音を人に聞かせることができるようにしたいというのが Stelarc の希望だ。
彼は Newcastle’s Centre で英国の聴衆にこの耳を披露している。
芸術?
テレビスターでモデルの Sasha Gardner は片方の耳が生まれつきなく、最近耳を再建するための形成手術の第一歩を踏み出した。
そうした彼女の見解はこうだ。
「彼はこれを芸術だと見なしているようだけど、個人的には不快だわ。多くの人にとってこれはとても繊細なことなのよ」
「これは人が芸術の表現として用いるようななにかではない。理解力が欠けているのよ」
Francis Wells氏 は Papworth 病院の外科医でかつて芸術家を手伝い、静脈から内臓や筋肉へ流れていく音をとらえた”音響身体”を作ったことがある。
「これは保守派を怒らせるだろう。わたしは彼を非難するつもりはないが、この耳はある人々を悲しませることになるかもしれない」
「偶発事で容易に取り戻せない、耳を失った人がたくさんいる。再建には費用がかかるのだ」
形成外科医で英国審美形成学会の会員でもある David Gault氏は、通常、手術は明確な臨床的なあるいは心理的な利点があるから行われるのだ、と語る。
「再建の際はまず患者の前腕に耳を置き、そのあと頭の前方に移植するので、これは技術的には目新しいものではない」
「とはいえ世間の注目を集めることは、なにかいいことをもたらす可能性がある。たとえば耳を失った人に、彼らが理解できない援助を探すことを促すようなことにもなるかもしれない」
実はこのおっさん、こんなパフォーマーもやっている。ネットで拾った解説を紹介すると、”各種センサーで感覚を拡大したりロボ腕を付けたり体に電極をくっつけて自分をリモコン可能にしたりといかがわしい系のパフォーマンス”ということらしい。
(動画)
さて、この耳論争だが、個人的にはモデルの Sasha Gardner さんの意見に賛成だ。揶揄や批判を除き、なにかを表現するときは必ずそれによって傷つく人がいないかを検討すべきだろう。
とりわけ医学技術を使うなら、その背景には患者がいること忘れるべきではない。ただえさえ苦しんでいる人たちなのだ。
と力んではみたが、すべての医療技術に当てはまるのか疑問に思えてきた。
たとえば毛ならどうなのか。育毛技術で腕に毛を付けているCMだって流れているではないか。
このハゲのおっさんが頭に毛を芸術的に生やしてみたら、それは非難されるべきことではないような気もする。
そう考えると、やはり耳なのがいけないのだろう。少なくとも耳はやってはいけない。
どっからどうみても、これはやはり、耳タブ-なのだ。
ネタ元
Performer gets third ear for art
“耳タブ-”まで持ってくるのが長かったですね~。このおじさんみてもあんまり違和感なくてどうしてかな~と思ってたらあの髪のCMがあるからですね。
途中でなんどもくじけそうになりましたが、どうにか耳タブまでたどり着くことができました。
終わってみると、やっぱりくじけていた方がよかったかな、と後悔してます。
耳タブー ぶーぶー
第三の目にしておけば
東洋人にはウケたかも・・・
そういえば、大毅の大さん、さんざんな目に会いましたね。
わたし、どこかに何かを増やすとか
付け加えるとかは必要ないですが、
最近、あんまし使わなくなったものがあって
ジャマだから無くてもいいのに・・・
なんて思いました。
どこか?は言えませんが。
昔、かチンコちんだったとこでしょ?
もちろん筋肉の話ですよね?