言葉とは不思議だ。「院長が好きなビールを飲む」という文があるとする。誰しも院長がビールを飲んだという風に解釈するだろう。
だがこう表記されたらどうだろう。
「(院長が好きなビール)を飲む」
主語はないが、ビールを飲んだのは院長ではない可能性がぐっと高くなる。
ではこの表記はどうだろう。
(院長+(好きなビール+飲む))と((院長+好きなビール)+飲む)。
なんとなく先の二つの解釈に通じるところがありはしないだろうか。
たとえば”院長”をA、”好きなビール”をB、”飲む”をCとすると、最初の文章は「AがBをC」だ。
もしこの「AがBをC」に先のような二つの解釈が成立するとすると、(A+(B+C))という意味と((A+B)+C)という意味が含まれていることになる。
ヒトは言語的な理解ができる前に、このような数学的な思考をしてるのかもしれない、というのがおおよそのネタ元の内容だ…たぶん。
米国の研究者が3人の失語症の男性を調べたところ、”犬が少年を噛んだ”、”少年が犬を噛んだ”の構文の違いは理解できなくても、”59-13”と”13-59”などの算数の構文の違いは把握できた。
実は失語症というのは、相手のいっていることが分かるけど、こちらからはうまくいえないとか、逆にしゃべれるけど相手の話が理解できないなど、いくつかのタイプがあるのだが、どうもネタ元の失語症は前者のようだ…たぶん。
というわけで、1より大きく2より小さいという数を書けと身振り手振りで繰り返しやってると、1.5、1.55、1.555などと書いた。このことはもっと抽象的な無限という概念を把握できているということになる…たぶん。
ということで繰り返しになるが、ヒトは言語的な理解ができる前に、このような数学的な思考をしてるのかもしれない、というのがおおよそのネタ元の内容だ…たぶん。
ちょっと難解だが、なんとなく分かるような気がする。
たとえばこんな例文はどうだろう。
実のところは(A+((B+B+B)+C))なのに、カミさんから問いつめられると(A+((B+B)+C))だと主張する院長
あるいは、
”外で飲み過ぎ便座の前で(A+(B-C))になっていく院長”
十分通じるんじゃないだろうか。
ネタ元の話から遠ざかっているのかもしれない。
でもどうしても、そこに述べられている理屈に共感を覚えるのだ。
なぜなのか考えてみた。あらゆる要素を足したり引いたりして考えてみた。
そして出た結論がこうだ。
今まで文字通りいい”加減”に生きてきたからだと。
知識不足と理解不足のため、紹介内容もいい加減になっている…たぶん。
ネタ元
Math without Words
B√a×C=∞ デス!
いつも一緒にいてもたまにズレる事があるのが♂と♀なんじゃあないでしょうか?
きっと 噛み付いた犬に少年の親が 敵討ちをしたんだと思うyo
なんてね~。
昨夜の院長は飲み過ぎでしょう。
皆で大さんのところに行きました。(窯焚きに)
数式とは言語である。
わたしは、そう思っています。
上手くいえないのですが…
「あらゆる任意の直線は、任意の一点に帰結する」
みたいな。あの、本論とずれているけれど
「この世界にあるあらゆる事象について、表現することが可能である」という点で、
そして、万能ではないという点においても
数式とは言語だ、と…。