「オンライン脳」(川島隆太 著)を読んだ。著者は東北大学の先生だ。
院長の読解力が確かなら内容は大きく二つに分かれている。不確かなら三つ以上かもしれないが、困ったことに、本には読解力を確かめるページがなかったので判断に迷っている。
とうことで二つだとすると、ひとつ目の内容はオンラインがヒト社会の”共感”を奪っている、ふたつ目はオンラインがとりわけ学生の学力低下を招いている、ということが述べられているはずだ。
まず一点目だが、ヒトは社会性を持った生き物であり、ヒトであり続けようとすれば”共感”は重要なキーワードになるだろう。
もしオンライン(たとえばZOOMでの会議)がその共感を損なう事態を生じさせているなら、それは考慮すべき問題だし、なんらかの手当てが必要だろう。
そして先生もその克服のためにいくつもの提言をされている。ZOOMも含め、お会いしたこともないが、そうした意見には共感を覚えた。
ただ二点目の”学力の低下”については、もちろんすぐ思いつくようなオンラインにかける時間の問題などではなく、オンラインの使用そのものが影響していることがデータで示されているのだが、そうだとして少し異議がある。
学力の低下はヒトであり続けることの必要条件ではないからだ。
自動車の登場をアナロジーすれば容易にそのことは理解できる。
統計があるかどうか知らないが、自動車が普及したとき、間違いなくヒトの筋力はそれ以前のヒトの筋力より低下していたはずだ。
でも、だからなんだというのだ。筋力が低下しもちゃんとヒトは繁栄し続けてきたではないか。
もちろん筋力と知力の評価にはいろんな差があるだろうが、その差について読解力がない人しか目を通さないだろうメモを長々としても意味がないからやめにする。
ただ要はヒトは考えることが出来るということだ。
そもそもオンラインはいろんなことを調べ確認し、そしてそれらをもとにいろんなことを考えるためのきわめて有用なツールである。そして、きっとこれから先もそうであり続けるだろう。
長くなったが読解力がない人と表現力がない院長のためにまとめるとこうなる。
ヒトは学力が低下しようと、オンラインを使うことで考えを確認し、補強し、そして進化し続けるのだ。
この理論を Thinker論 と名付けたい。