昨日読み終えた「無痛」という本がある。現役の医師の手からなる450ページは優に超える小説だ。ジャンルに疎いので、どういうタイプの小説になるのかよくわからないが、強いていえば医学サスペンスだろうか。
内容を手短に伝えるのも不得手で、やろうとすれば450ページはかかるに違いなく、断念する。
ただ医者である主人公に深く感銘したのでメモしておきたい。
この男性の医師と院長には大きな共通点がある。弱小診療所を営んでいるのだ。小説のなかで診療所に通う月ののべ患者数が述べられているが、うちの台帳を盗み見たのかと驚いたほどだ。
おお、貧乏医者の仲間だ。つらいだろう。苦しいだろう。ヴァーチャルの世界でもいい、今度どこかであったら人生の不遇を語りあおう。そう心に誓っていたらどうも大変な違いがあることに気づいた。
彼は人を見るだけで病気を言い当てることができるのだ。この”能力”のため既存の医療に疑問を抱き、しがない診療所を開いたという設定だ。
病気には身体にいろんな特徴を作り出すものがある。たとえば肺機能が悪いと指の先端がふくらみバチのようになったり、甲状腺の機能が亢進すると汗をかく。こうした教科書に書かれているような兆候を彼はさらにするどく観察することでこの芸当を成り立たせている。
たとえばこんな風だ。
この警官は膀胱が弱っている…。かれは自分の診断を確かめるため、さりげなく警官の足下を見た。革靴のつま先が内向きに減っている。慢性の腹圧がかかっている証拠だ。(中略)
膀胱尿管逆流症だな、とかれはさらに細かい診断を下した。膀胱尿管逆流症とは、尿が膀胱から腎臓へ逆流する状態である。(中略)警官は無意識に左の脇腹を押さえているが、それは左の逆流が強いせいだろう。
医療に携わる立場からすればかなり荒唐無稽なお話ではあるが、よく考えると大切なことを教えてくれているではないか。
診断学の原点は患者を見ることだ。どんな病気であれ医者はそこにある兆候を感じとって診断しているのだ。
もちろんそこで診断がつかないことも多々あるだろう。だがその感触から出発し、次に取るべき手を繰り出しているのが実際の医療なのだ。
だから多くの兆候を捕らえようと努力するこの医師はすばらしいと改めて思うのである。
ということで早速今日から真似してみよう。
院長 「(この赤ん坊を抱いたご婦人は喉が弱っている)」
婦人 「なに見つめてるんですか」
院長 「(きっと感冒にかかっているに違いない)」
婦人 「アホが移るから赤ん坊を見ないでください」
院長 「(You have A kannbou)」
図らずも、貧困診療所である理由の一端を明らかにしたメモにもなってしまったような気がする。
この小説は読んでないから分かりませんが、
この小説の主人公より、oyajiさんの方が
患者にとってありがたいかもしれません。
なんとなれば、どんなに重病でも、oyajiさんなら、
明るく病名を教えてくれるからです。
「あなたは癌です。」
「ガーーーン!」ってな具合でしょうか?
いや・・・ここまでひどいオヤジギャグじゃないか・・・
あっと、リンク変更しておきました。
ここまでひどいオヤジギャグのリンク変更ありがとうございます。