君たちにはときどき、パパのおじいちゃんについて話したよね。パパの父さんの父さんのことで、君たちのおじいちゃんの父さんにも当たる。不思議なことにパパのおじいちゃんのおじいちゃんの子供でもある。
なんども聞かせたようにそんな君たちの曾おじいちゃんはとてもお金持ちだった。だからこそ、ときどき君たちに話をしていたんだ。かあさんからビールの本数をきびしく制限されるパパがいる、そんな経済状況がきびしい家庭からは縁遠い、とてもお金持ちだったんだ。
人というのはそんなものだ。自分にないものを持っている人が知り合いだったら、誰でも披露したくなるものだ。反対にいかがわしいことをやっている人が知り合いにいても、だれもそれを語ろうとしないだろう。だから君たちは大人になってもこの「院長室」をやっていた人がとても身近な人だったなどと、きっと口が裂けてもいわないだろう。
その曾おじいちゃんついてのこの話は初めてのことだ。
曾おじいちゃんの最期は普通に振る舞い、翌朝、周りのものが気づくと息をしていなかったという、いわばピンピンコロリ大往生だったのだが、さすがに高齢のため、晩年は普段でも床に着くことが多かった。そのベットで紙に書いた言葉がある。それが「大安心」
曾おじいちゃんは、だれにも教わることなく今でいう通信販売を呉服の卸業に取り入れたらしい。パパの父さんが家業を継いだんだが、うまく行かなかった。やがて商売は傾き、店じまいへ。ついでにいうと、パパの父さんがだめだったというわけではない。みんなが皆、松下幸之助になれるわけではないというだけだ。
そしてパパの父さんが床に着いていた曾おじいちゃんに店を畳むことを告げたとき、そばにあった紙に「大安心」と筆したのだという。
パパの父さんやそのとき一緒にいたパパのおじさんからその話を聞いたんだけど、曾おじいちゃんは自分が作り上げた家業について、行く末を案じその顛末への感想を述べていたのだと漠然と思っていた。莫大なお金を手にできた商店へのそんな思いも確かにあったのだろう。
でも、ここ数日、君たちの将来をいろいろ考える機会があり、違うということに気付いたんだ。
曾おじいちゃんはパパの父さん、つまり自分の息子のことを心から心配していたのだと確信する。
一緒に生活していたのだから、商売が傾きかけていたのは曾おじいちゃんは気づいたいたはずだ。
そして苦悩している息子の姿もなんどとなく見かけていたはず。そして息子の苦悩が終わることに大安心したのだ。
なぜ、そう確信したのかって?あと5年もすれば話してあげよう。もしその機会がなければママから訊くといい。なにか話を聞かせてもらえるかもしれない。
パパの父さんは君たちが生まれて4ヶ月ほどしてなくなった。君たちにとってのおじいちゃん。パパにとっての父さん。
その父さんにパパの今の状況を伝えたら、「小安心」ぐらい、いってくれるような気がする。