驚異の量子コンピューター

「驚異の量子コンピューター」なる本を読んでみた。まったくというわけではないが、97%ほど理解できない。理解できたのは日本語の本だということと、右開きの本だということ、そしてむずかしい内容だということぐらいだ。
でも読み終わってから、ふと思うことがある。書店でなぜわたしはこの本を手にしたのだろう。

いろんな生物種のなかで人類はとりわけ無謀な生き物だ。人類がこの地球上にはびこることができたのは、大海原の先に何があるかわからなくても、丸太で乗り出す勇気(わたしだったら岸から手を振り、見送る側にいただろう)、そびえたつ山脈の先になにがあるかわからなくても上り始める行動(わたしだったら足をくじいた振りをしてその場にとどまっていただろう)、そうした思考と行動を人類が持っていたからだ。
先が見えなくても、漠然となにか輝かしいものがあることを信じて行動する。この思考と行動パターンこそが人類の人類たるゆえんだ。そして当然のことながらそのさがは、今も引き継がれている。
たとえば事業を始めればお金がたんまり手にできるのではないか、たとえば英会話スクールに行けば英語がスラスラと語れるようになるのではないか、たとえば人気の料理本を読めば料理がうまくなるのではないか。そうした思いを抱き人は行動する。

でも挑戦してきた人類の大半の人が海でおぼれ、山のなかで迷って姿を消してしまっていたはずのように、その結末も人類は引き継いでいるのだ。多くの人は金持ちになれず、英会話をあやつれず、料理はうまくできない。(けっしてカミさんのことではない)

でもそんなことは構わずわたしは書店でこの本を手にした。自分でいうのもなんだが、わたしはなんという勇者なのだろう。
そしてその勇者は思うのだ。やはり岸から手を振り、見送る側にいた方がよかったかもしれない。(もしそうすれば岸から10mで撃沈する自分の姿をみることができたはずだ)