ヒザ枕ができる日本製の枕の紹介が、外国のメディアにあった。クリスマスにひとりで過ごす男性に受けているとのこと。制作者の日本人によれば、幼い頃の耳掻きを思い出させるように本物の膝と同じような感触を醸し出しているという。こんな感じの製品らしい。
そういえば、このヒザ枕、幼いころしたあと、成長のある時期からできない期間があるような気がする。もちろん多くは、幼いころの膝は母親のもので、次にさせてもらうのが、気が置けない異性の膝というわけね。ヒザ枕させてもらえない間は、ほとんどの場合、一人で耳掃除やっていたに違いないわけで、いわゆる大人になる準備期間とでもいうべき大事な時期なんだろう。
いかがわしい本を片手に、耳掻きをしながらその時期を過ごしたりすると、くだらないメモをする医者などになるから、注意しなくてはいけない。
そうはいっても、いまだ経験できない異性との秘め事を必死に想像する若者をだれが責めることができるだろう。
それはやがてやってくる出会いのための、とても大切な習わしのはずだ。
まだ見ぬ彼女がこう誘いかける。
「ねぇ、耳掻きしてあげようか」
青年院長は、その情景を思い浮かべるだけで、興奮する。頭をそっと彼女の膝に乗せる。彼女の温もりで体温がきっと一度は上がるだろう。彼女しか見えない、いままで取り損ねた何年ものの耳垢があるかもしれない。彼女はそれを見て、いやがるだろうか。
いやきっと笑いながら、耳掻きの棒の先でくすぐるように触ってくれるだろう。
ああ、たまらない。たまらないのは棒の感触だけでないことは百も承知だ。この耳掻きが終わったらどうすればいいのか分かっている。分かっているけど、どうすればいいのだ。準備はできているけど、本で得た知識通りできるだろうか。
こうした涙ぐましい想像の果てに、青年は大人になっていく。いつヒザ枕されてもちゃんとやることができるようになっていく。つまり、ことが起きれば、ただちに体勢に入れるようになっていくのだ。
これを、いざかまくら、という。
とまぁ、こんなくだらないメモをしないためにも、一人耳掻きの時期は大事だということで。
ちょっと、こわい感じ。だって、上体がないもの。
やっぱり、好きな人にしか耳そうじはしてあげられないですよねぇ。