テスト


 今日は午後から看護学校へ。昨年教えた学生たちの資格試験が2月にあるため、”まとめ”の授業というので毎年この時期にやるのだが、数ヶ月やった講義の内容を、たかが1時間半でやれといわれてもなぁといつも思いつつ、教壇に立つ。結局理屈とか理解とか抜きで、ここは覚えとくように、なんて話をしてきたんだけど、きっと分かっている学生はなにをいまさらと思ってるだろうし、そうでない人はおもしろくなかっただろうな。もちろん、これまで講義では、理解しなくてはいけないところは、リキいれてやってきてたんだけど、分かってない人は、たんにAが出たらB、Cが出たらDってな話しか聞こえなかったはず。これじゃ機械と一緒だよな。
 で、今日のメモは”チューリングテスト”について。


 このテストは機械が知能を持つかという疑問に対して設定されたもの。いまでも一つの基準として用いられている。一言でいえば、衝立てを置き、人がその向こうのモノとやりとりをして、機械だと分からなければ衝立の向こうのモノは知能を持つと判断できるというものなんですが(ここらあたりを参照)。
 でも最初このテストのことを知ったとき、正直なんだかヘンナの、と感じた。そもそも知能とか知性とかはなんぞや、ということが定義づけられないのに、知性と称するものを持ったものが、相手が知性があると判断するのは、なんか不思議だよな。まるで自分と同じように鏡に映れば、自分と同じだと認めようと決めても、さて鏡に映らなくちゃならない自分はなんだっけってなもの。これじゃ話、進まないよねぇ。まぁこのテストにまつわる哲学的なお話もいろいろあるようだけど。
 でもね、資格試験に向けてそんなこといっておれない人もいるんだよな。知性とか知能とか関係なく、もっぱら機械に徹して欲しいという気持ちもある。そこでボクは、最後にできるアドバイスとしてこういいたい。
 機械になれ、丸暗機になるんだ、とね。

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