DNA

DNAについて、自慢するようで申し訳ないが、詳しいつもりだ。500ページぐらいの本なら書ける自信がある。
「DNAについて」で始まり、たぶん終わりは「というらしい」になるだろう。これだけで13ページを使ったから残り487ページはなんとか言葉をつなげられるだろう。あ、言い忘れたが1ページ1文字の本になる予定だ。

このDNAが犯罪捜査に用いられているのは周知のことだ。ただその意味は慎重に取り扱う必要がある。
いまでこそ精度は上がっているものの、ついひと昔前まで個人を同定することがあやふな状態で捜査に用いられたときもあったのだ。
しかもネタ元のようなことが事実ならさらに慎重にならざるを得ない。

10秒人と握手をすると自分が触ったものでなくても、握手した相手を通じて自分のDNAがその場の物に付着する可能性があるというのだ。
またテーブルでお茶を飲みながら会話するだけで、自分が触っていないカップやピッチャーやテーブルに自分のDNAがつく可能性があるという。会話や咳やくしゃみなどで出た唾液のDNAが付着したものだろうとのこと。

そもそもDNAのどこを見て個人を識別しているのか。
DNAは個人を特徴付けるさまざまな情報を持っていて、ファッションショーに例えれば、それぞれがまとう異なる服飾の情報を担っている。
だから袖の丈とか色合いとかさまざまな違いを見て、個人を同定していると思われがちだ。だが実はそうではなく、服飾を作る際に出てきたいわばごみのような糸くずを見ているのだ。DNAのなかにはこの糸くずがくりかえし織られている箇所があり、それを酵素というタンパク質で分解し、比較するDNA間で一致する確率がどれほどあるかを評価するものだ。

犯罪捜査に用いるときは、たとえそれで個人を同定できたとしても、はたしてそれが犯罪を犯した人になるのかどうか慎重に検討する必要がある。
だから犯罪捜査の際に用いられる、DNAを分解する酵素は特別なものが必要となるのだ。
じつはこのことは、どの教科書にも触れらていない。だから500ページの本を出版する際にはもちろん触れるつもりだ。

その酵素の名前を冤罪無という。あ、言い忘れたが、酵素は英語でエンザイムというらしい。

ネタ元

(乳腺外科医裁判での、検察側のありえないほどのおろかさに触発されてのメモ)