ダメにもいろいろある。
理科の実験で、硫酸を飲んではダメよといわれれば従うに越したことはない。くだらない院長のメモなんか見ちゃダメよ、も聞く耳を持った方がいいだろう。
つまり理にかなったダメというわけだ。
でも曖昧なダメもある。価値判断が伴うときだ。
写真をごらん頂きたい。なにか分からなくてもいいから、じっと見つめて欲しい。
かわいいではないか。ほおずりしたくなるではないか。
実はこれ、テディベアなのだ。人物大のこの人形はチューリヒの街にほかのおよそ600のテディベアと一緒に並べられていた。
だが、テディ祭りの主催者がやっぱりまずいと判断して、退場させられたのだ。
顔に皮のマスクをして赤過ぎる口紅を塗り、腰までのタイツとコルセットを身につけた姿は、子供に悪い影響を与えるというのが、その理由だ。
でも主催者じゃなく、街の人に判断を委ねたらどうなんだろう。撤去すべきかどうかを問うたら、きっと意見が分かれるはずだ。
仮に設置してもいいという意見が多ければ、主催者も無理を押してまでダメだとはいわないだろう。それが常人としての意識というものだ。
でもある組織は違う。そのなかの一人がダメといえば、すべての議論が水の泡になる。もちろん、うちのカミさんの話ではない。
世界の安全保障の問題ともなれば、そういう仕組みも意義があるのだろう。
だが、なんだかしっくりこない。ごく一握りのの人たちだけにダメをいう権利があるというのは、どう考えても普通の人たちが考えることじゃない。
かといって数だけで決めれば、世界の安全が脅かされることもあるかもしれない。
難しい問題だ。
せめて「常人委員会」とでも名前を変えて、もう一度議論し直してもらいたいものだ。
民主主義に幻想を抱いているわけではないけど、やはり民主主義のイロハが欠けてるような気がする。まぁ、民主主義の限界ということでもあるんだろうけど。
ネタ元
Hardcore teddy banned from Zurich bear parade
このぬいぐるみ、どこで作られたんだろう。ドイツの工場で作られたとは思えない。どこかの素人さんが作ったもののように思われるんだけどな。どのようないきさつで飾られたか知りたいよね。
小学生の時、理科の実験で先生がカバーガラスは割れやすいので気を付けないとダメって言ってて、やっぱりダメと言われたらやりたくなっちゃうので割ってみました…先生に『割っちゃいました☆』って言ったら許してもらえたケド。このメモも見ちゃあダメって言えばもっと見たくなるかも!?
メールもみたらダメってな風な 雰囲気をかもしだすと見たくなるのかも~(o^o^o)