当時流行っていた「透明人間」というTVドラマのせいで、幼いころアホな仲間と透明人間になったらなにをするか話しあったことがある。
銭湯で女風呂を覗くとか銀行に行って金を取ってくるなど概ね犯罪的な意見がその場を支配したのだが、なぜだか納得できなかった。
たとえば国立図書館の本を閉館の時間に関係なくゆっくり読むなどという意義ある行動がアホな連中にはどうしても発想できなかったのだろう。
だがいずれにしても透明人間なんぞになれるわけがない。所詮はたわいのないバカ話に過ぎなかった。そう思っていたらそうでもないかもしれないという記事があったのだ。
ものが見えるということは、ものに反射した光が目に入ってくるということだ。その反射した光の方向を変えることができればものがあるかどうか分からなくなる。そうした物質を開発している研究者たちがいるという。
この物質、可視光線のだけでなく赤外線、マイクロ波なども進行を曲げてしまう。そうした物質でできた服をまとうと空間に穴が開いたように見え、あたかもなにもない塊が動いているように見えるという。
なかなか想像しがたい話だが、こんな説明も加えてある。
縫い糸を破ることなく服にとがったものを刺して出来る穴を想像してみる。その縫い糸にそって、物体の背後で一端を持ち上げながら光が動くようなものだという。
訳のヘタさも手伝ってますます分からなくなってきた。ついでにメモしておくと服をまとっている方も赤外線やマイクロ波などを用いないと外が見えないらしい。
まぁ幼いころTVで見た透明人間とはかなり違うということだけは間違いなさそうだけど、服の穴もさっと動けば気づかれるがゆっくり動いていれば気づかれないだろう。
ということはそれをまとってなんとか国立図書館へ潜り込むことはできるに違いない。赤外線を持っていけば心おきなく本が読めるというものだ。
読書に疲れたあとは、もちろんゆっくりと銭湯に向かいたいと思う。
ぶはははーーっ!
私は銭湯に直行したいです。
しかし、自分が透明人間になるより、
着ている服を透過できる眼鏡の方が簡単そうな気がします。
やはり図書館で実験してからした方が無難かと。