どこぞの小学校の校長が「ドレミの歌」の替え歌を歌って問題になっているとワイドショーで取り上げていた。なんでも休みの担任の代わりにクラスを受け持った際の出来事らしい。
その替え歌ってのが、
「ドは、ドクロのド、レは霊柩車のレ、ミはミイラのミ」ってなぐあい。で、極め付きが最後のフレーズで、
「さぁ死にましょう」というものだったらしい。
生徒が騒ぐから注意を惹くために歌ったとの本人の弁明があったが、なんとも軽率な人だこと。ただでさえ小さな子でも生きることをつらいとか思っている時代なのにねぇ。
で、この話を聞いたとき、ボクも小学2か3年生の時、同じように担任の先生が休んで、代わりに教頭先生がやってきたことを思い出した。あのとき教科書を開いての授業をやったのかは定かでないけど、その教頭が「こっくりさん」をやったのははっきり覚えている。
席の一番うしろの子に小さな紙になにか文字を書かせ、その紙を畳んで教頭のいる教壇まで持って来させる。書かれた文字はその子しか知らないわけ。で、なにか秘密めいた雰囲気で、窓の近くの生徒にこういったのね。
「少しだけ窓を開けて。こっくりさんが入ってくるように」
そしてあらかじめ用意していた50音が書いてある紙の上に、文字が書いてある紙を握った、それを書いた子の手と自分の手を重ねて「こっくりさん、こっくりさん」と唱える。やがて二人の手が自分たちの意志とは関係ないかのように動き始める。右に左に、上に下にゆっくりゆっくり動いていた二人の手があるときある文字の上で止まる。その文字を教頭が口にする。それを繰り返すとある単語になった。
「チョコレート」
紙を開くと同じ文字が書いてあったというわけ。
今思えばきっと紙をすり替えたりした手品だったんだろうけど、そのときの教頭はあくまで「こっくりさん」が読んだという態度に終止していた。科学する心という点で幼い子供に与える悪影響は底知れないものがあったはず。
院長 「先生たちはカルト好きなんですか」
替え歌校長「そういうわけじゃないんですけど」
院長 「だいたいセンスがないですよね。もともとの歌詞は”さぁ、うたいましょう”で、”さぁ、しにましょう”じゃ語数が違うじゃないですか」
替え歌校長「そうですね」
院長 「おどろおどろしい雰囲気で注意を惹きたかっただけなら、”さぁ、カルトでしょう”ってな具合でもよかったでしょ」
替え歌校長「あ、いい。それ、カルトしよう」
うーん、教育の荒廃の原因は一体どこにあるのかしらねぇ。