今日、埃をふいた。百均で手に入るようなケースの埃だ。
持ち主は病院にいる。まるで彼の周りの空気だけが希薄になってしまったかのように、そこでたった今も懸命に呼吸をしているはずだ。
80年を越える人生のなかできっと初めての経験だろう。
そういう具合に病んでいる人を数え切れないほど診てきた。そして知りたくもないその行く末を学んでしまっている。
彼は年に似合わず好奇心の強い人だ。彼の部屋はパソコンの類の機械であふれ、CDやフロッピーやパンフレットや雑誌がきちんとケースに納められている。その部屋を母と姉とわたしの三人で今日整理をした。誰も信じたくはないが結局は静かに帰ってくることになる父を迎える場所を作るために。
いくつかのケースが主を失おうとしてた。それを引き受け我が家に持ち帰ってきたのだ。
主が部屋からいなくなって数ヶ月にもなる。だから仕方のないことだが、すべてに埃がついていた。それを雑巾で丁寧にふく。十数個のそれらはやがて新品のようにきれいになった。
ただの埃でないと思い始めたのはしばらくしてからだ。
父の汗、脂、息、涙、唾液、垢、つまりは父の身体から吐き出されたあらゆる分子を含んでいるはずの埃だったのだ。分子はじかに、あるいは部屋を漂いやがて落下しては埃となっていったに違いない。
そしてこんな考えがふと頭をよぎった-ぬぐうと父がなくなる。
愚かな考えだと笑われるのは百も承知だ。そんな分子など分解してしまい、もはや存在しないかもしれない。
でもそれでもいい。拭きながら涙した自分を納得させることができれば、それで十分だ。