昨年末、中学3年のうちの子が冬休みの宿題の話をしていた。訊くと学校の図書館にある本を読んで読後感想文を出さなければいけないという。
めんどうだから図書館にあった一番薄そうな本を選んだという。60ページほどのもので題名は「スターリン」。スターリンの生い立ちを描いているらしい、とのこと。
ふむふむ、がんばってね・・・って、ちょっと待って。あの旧ソ連邦のあの独裁者なの?
スターリンがやったことは、これまで読んできたいろんな本のなかで知っているつもりだ。
共産党と自分に反対するひとたちの何百万に及ぶ粛清、あるいは最近読んだ「あの本は読まれているか」にも描かれている知識人への迫害、どんな進化論の本にも出てくる、科学をねじ曲げた、これまた何百万のひとびとに飢餓をもたらしたルイセンコ事件。
話を聴かされたときに、ざっとこんなスターリンの非を指摘していた。そんな人物の、それも短い伝記なんて、批判的な視点などあるはずもなく、スターリンを礼賛するものに決まっている。
第一、その本を選んだのは親の薦めなのか、なんて先生に勘違いされてもおかしくないじゃないか。
そんな会話には、別に結論めいたものはなく、なんとなく終わっていたのだが、ここ数日、ぼんやり考えているとやはり困ったものだとの考えにいたり、本日、違う本を選んだらどうかとの提案してみた。
だが選ぶ本は学校の図書館のものでなくてはならず、またきっと親の介入をわずらわしく思ったのだろう、「いいよ、スターリン主義者でも」との返事だった。
「主義者」だって?最初の話があったときに、ネットでいろいろ書いてあるから自分で調べたらいいとアドバイスしていたのだが、きっとその言葉はネットで拾ってきたのだろう。
そうだ、かれは自分でいまから先、いろんなことを学び、そしてことの是非を自分で判断していくのだ。それでいいではないか。
スターリン主義の政治的定義などできはしないが、少なくともおためごかしの意見をし、それを人に押しつけるという側面があることはあたらずとも遠からずだろう。
考えてみると、親という立場で、小さなスターリンになっていたんだな、と反省したメモでした。