喫煙の理屈


 いよいよメモの部屋、二日目に突入。だいたい日記なんか続いたことのないものが、大それたことを始めたものだが、気合いは十分。
 余談だが、プライベートにHPを作った人の立ち上げにあたってのコメント集を本にしたら売れるのではないだろうか。夢や希望とまではいかないが、いまからHPになんらかの喜びを見いだそうとしている人にとって、きっと参考になると思う。
で、もしヒットしたら、第二弾は、「わたしはこれでHPをやめました」ってのもいいかもしんない。けっこう人知れず消えていってるHPも多そうだしなぁ。そんなシリーズ本が出た日には、ぜひ第二弾に加わらないよう、がんばってみようと思う。


 昨夜は日頃親しくさせてもらっている近くの外科の先生のところへ、ビールを片手に遊びに伺った。そこでの話。息子さんは、数年前、某外資系の大手コンピュータ会社に入社したのだが、早くも会社の重役から面識を得て、かわいがってもらっているという。そのきっかけは、喫煙。会社内は喫煙場所を除いて全面的に禁煙で、喫煙者であった息子さんと重役が、その喫煙場所で出会ったということらしい。気に入ってもらっているというのは、もちろん彼の魅力によるのだろうが、先生が彼に禁煙を勧めてもそうした”喫煙の社交性”を主張し拒みつづけているそうだ。
 うーん、確かにこういう人にタバコの害だけを説いてもやめさせるのは難しいのかもしれないなぁ。
 そもそもパッケージに書いてある「あなたの健康を害するおそれがあります」なんて文章は矛盾だらけだと常々感じている。一体おそれがあるから、やめろといっているのか、勧めているのかはっきりしない。やめろというならタバコなんか販売しなけばいいし、勧めるなら注意書きなどするな、でしょ?おなかを壊すかもしれませんが、どうぞお召し上がりくださいなんていって食事を運んでくるレストランなんかみたことないよな。そんなうやむやな論理でもJTはのし上がってきた。ましてや「あなたの健康を害するおそれがあります」のあとに「ただしすてきな出会いがあるかもしれません」なんて文言を付け加えられた日にはどう反論すりゃいいんだろう?
「ここに書いてある文はウソです」という紙の論理的真偽は、その紙のなかでは問うことができない。それを解釈するには、紙に書いてある文の論理と紙自体の真偽の論理は、違う論理であるとする、いわゆるメタ論理に依拠するのだが、先の「健康を害するおそれ云々」の表現はそれと似た問題を含んではいないのだろうか。それとも世の中にはには証明できない問題があるというゲーデルの不完全性定理の傍証ということなのだろうか。
 ぶら下げていった6本入りの缶ビールケースが空になるころにはジネンジョの料理の仕方を最後に、記憶が不完全性定理の確証になっていたのだけは確実だったなぁ。

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