若い人は知らないだろうが、その昔、植木等というコメディアンがいた。ネットからの引用だけど「1962年、東宝映画『ニッポン無責任時代』」に出演。大ヒットととなり、その後、数多くの『無責任シリーズ』に出演している」みたいな人で、「日本一の無責任男」との賞賛も受けていた。
そんな彼に幼い頃、本当にとてもあこがれを抱いていた。でもどうあこがれていたのか、改めてメモしようとすると、なかなかむずかしいことに気づく。
いまダウンタウンのハマちゃんがCMでやっているような「スーダラ節」のポーズも気に入っていたし(実家の小さな商店の従業員の前で、調子に乗ってなんどそれを披露したことか)、「おじゃましました」なんて決めゼリフもツボにはまっていたのだろう。
ときは高度成長の時代。幼いわたしのみならず社会が、無責任という彼の言葉を受け入れたのだ。
人々は会社に忠実たらんサラリーマン社会への不満を自虐的に受け入れたのだろうか、あるいは逆にその無責任さ、いわば自由奔放さに社会の将来の希望を託したのだろうか。
いずれとも分からない。でも、「安倍氏 国会断言『総理大臣の答弁は全て責任伴う』」→秘書がやりました」(マスコミ)とは間違いなく違う、無責任男へのあこがれだったと思う。