上野動物園に行ったときのこと。雨のなか1時間ほど待ってパンダの汚れたおしりを見たあと、足のむくままほかの檻を見て回わる。ニホンザルの矢印が目に入ったのでそこに向かうことにした。途中、子供らとたわいのない会話のやりとりをする。
オヤジが「サルにはボスがいるんだぞ」子供が驚く「え、そうなの?」
「別府の高崎山にもいたじゃないか」「あ、そうだったっけ?」
やがてサル山にたどり着くとその場所にあったのがこの写真の立て看板だ。
急にその場の雰囲気がまずくなる。子供らもさすがにサルより賢いらしく、なにもいわない。きっとオヤジはサル程度の頭しかないのだろうと思っていても黙ったままだ。こちらは「へー、そうだったんだ」と取り繕うしかない。
でもこの説明をよく見ると餌とメスの独占しかボスの定義として考えられていない。
でも動物界では浮気は当たり前のことだ。たとえば鳥、浮気あたりのキーワードで検索すると実例がごまんと出てくるはずだし、ライオンのメスだって浮気をしていることが分かっているのだ。
確かに餌はここに書いてある通りだろう。でも独り占めできる環境でないことはずーと昔から分かりきったことではないのか。
それにも関わらず、その筋の方は、たとえば「高崎山のアルファ群のボス」とか「ボスの交代」などというマスコミの表現に対しなぜ声を大にして異議を唱えてこなかったのか。
結局はボスの定義の問題で、ドラえもんのジャイアンがボスかどうかという議論をしているにすぎないのだ。
でないと自信たっぷりに言い放ったこのオヤジの、家庭のなかのボスの位置がおかしくなるのである。