ダディ・ロボット



 ある科学サイトの記者が書いた ”U.S. Baby Meets ‘Robot’ Daddy in Iraq” という題の 短い文があった。訳すと「米国の赤ん坊がイラクにいるロボット・ダディ、つまり”ロボットの父親”に会った」という意味になる。気になる点があったのでメモしたい。


 ディスプレイのなかの米兵と生後7日目の彼の息子が写っている写真を見ればお分かりのように、もちろん父親が実際にロボットというわけではなく、イラクに駐留している米兵が画像で米国にいる自分の幼い子と会うことができる装置を紹介したものである。
 
 遠隔操作で動くこの装置はたとえば入院中の患者の管理などにも用いられており、デバイスとしてはありふれたものであるらしいが、遠く離れた家族同士の会話に用いられるのは聞いたことがないと記者は語っている。
 そして記者の関心は子供に移り、こう冗談をとばしている。
「遠隔操作で動くこのロボットは声と顔が出るだけだ」「もし子供の心をがっちりつかみたいなら、NASA型ロボットを使う方がいい(右写真参照)。このロボットは実際に腕で息子を抱くことができる。そして1年もしくは2年後に子供がこう語るのを聞くことができるかもしれないのだ-”ボクの父さんは車輪がついていてチョー力持ちなんだ。君の父さんはどう?”」
 戦場の兵士が家族と一体感を味わえるなどと記者はこの装置を肯定的に捉えているようだが、戦争に利用されるものをどう評価していいか迷うところだ。だが、気になる点というのはそのことではない。
 問題は子供への影響だ-果たしてこんなロボットで父親と子供のつながりはしっかりしたものになるのだろうか。
 記者が語るジョークのようにロボットが自分の父親だと勘違いする子だって本当にでてくるかもしれないではないか。
 実際、画像と実物を認識するのは容易なことではないのだ。
 1歳をゆうに越えたウチの双子の子供らも動物園の象と本に出てくる写真の象をいまだに区別できないでいる。父親とゴリラの区別もついてないようだ。
 だからこんなロボットがちまたに広まったら自分の父親を分からない子供がたくさん出てくるのではないだろうか。父親がイラクから帰ってきても誰がだれだか分からない、そんな恐るべき事態が生じるかもしれない。
 気が早いかもしれないが、その対策を練る必要が生じたときのためにこの現象に名前をつけておきたい。


 実は記事の原題は”U.S. Baby Meets ‘Robot’ Dad in Iraq” である。 Dad を Daddy に勝手に変えたのは、ネットで調べると父親に対するこの呼び方は多くは幼い子しか用いないということが判明したからだ。とりわけ男の子は早くから Dad と呼ぶようになるらしい。
 ところがご覧のように問題の子は生後7日だ。だから Dad より Daddy の方がふさわしいに決まっている、そう自然に考えた結果に過ぎず、オチに無理矢理導こうなどという魂胆などこれっぽちもなかったことをご理解いただきたい。
 ネタ元
U.S. Baby Meets ‘Robot’ Dad in Iraq

“ダディ・ロボット” への2件の返信

  1. ロボットの父親は立派なのだろうか?
    ロボットの父親は人間の父親のように、
    ちゃんと寒いダジャレを言えるのだろうか?

  2. 先日の旭川の雪には驚きました。
    またなんとか更新続けますのでよろしくお願いします

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