皮膚をジェット噴射の印刷機で作る研究が進んでいるらしい。
従来の方法だと、皮膚の一部の細胞を土台となる基質というものの上に置き、それが立体構造を取るまで待たなくてはいけなかったのが、ジェット印刷で細胞を吹き付けると、最初から立体になるという。
もちろん解決しなくてはいけない問題が山積みのようだけど、再生医療のなかでは皮膚の研究はかなり先端を走っているようで、期待できそう。
でね、この印刷機、旧式の、吹き付ける穴が大きい昔のタイプじゃないといけないらしいんだけど、ここにとても共感できるものを感じる。
というのは、いままで何台かの印刷機がクリニックを通り過ぎていったけど、事務机に鎮座することのできるその印刷機は、店頭に並ぶもので一番廉価なもの、という鉄則があるからだ。
安いということは、つまりはそのときどきの旧式を意味する。ときどきテーブルに並ぶ総菜が、安いのと一緒だ。半額シールがペッタンコと貼ってあるのは、一日のうちで調理されたのが一番古いことを意味する。
別に文句をいっているのではない。そうしたお総菜で何不自由なく満たされる自分のお腹がなさけないと訴えているだけだ。
でも印刷機は違う。この旧式、新式についてはひとこと、いいたい。新式といっても、すぐに壊れてしまうじゃないか。そりゃ安いからといわれればそうかもしれないけど、旧式の設定を、エッチラオッチラ新式に合うように工夫しながら変えて使っているものにとっては、けっこうつらいのよ。
だいたい、文字しか印刷しない人がいることを、印刷機会社の人は知っているのだろうか。印刷機能に、デジカメコピーや画像の印刷など求めてない人もいるんだ。
確かにいかがわしい画像を印刷したことがある人を知っている。誰とはいえないが、知っている。誰でも青春の蹉跌はあるもの。その人の気持ちは聞かなくても分かる。心のなかの声が語りかけるように聞こえてくる。
印刷したまではいい。世の中の真実をひとつ手にした歓びは分かる。でもそれをどう隠したらいいのか。どう処分したらいいのか。
哀れな子羊の声が聞こえる。黙っていても聞こえる。
それからその人は決めたらしい。印刷は文字だけにしようと。
とまぁここまで深刻じゃなくても、実際に白黒の文字印刷だけで十分間に合っている人って多いんじゃないのか。旧式のままで十分な人ってたくさんいるんじゃないのか。
新式もいいけど、旧式の印刷機もぜひそのまま残しておいてくれ。
印刷機を最初に作った人も、そんな画像印刷の機能なんか求めてなかったと思う。
きっと今の印刷機を見ると、びっくりグーテンベルグするんじゃなかろうか。