今日、お呼ばれでタクシーに乗って料理屋さんに向かったときのこと。
クリニックのあるとこも田舎だけど、目的の店があるとこはもっと田舎。運転手のおじさん、差し出されたパンフレットを見て、おおよそのところは見当がつくものの、詳細は分からないという。
大きな目印としてごく近くに田舎の駅があるみたいだから、近くで人に訊けば済むことと、30分近くの小旅行のあげく、駅舎が見えるところまで来た。
で、詳しく場所を確認しようと、運転手さん、携帯から店に電話をかけてくれたのね。駅のすぐ近くだと告げたあとのやりとりを聞いてると、どうやらもう少し進むと右に看板が出てるらしい。
「はい、分かりました」と運転手さん、携帯を切ったんだけど、かすかな疑問が頭をよぎった。
というのは、駅に向かう方に進むのか、それとも遠ざかるのか、によって右の意味が逆になるよね。
そんな勘違いはときにあるかもしれないけど、相手もそのことを問わなかったみたいだし、まずそんなことはあるまいと秘かに念じて、運転手さんと一緒に、見落とすかもしれないといわれた看板を探した。
でも駅に着くまで見つけることができず、結局Uターンしてようやく、いわれた通りの道の右に掲げられた看板を見つけた次第で。
で思い出したこと。マーチンガードナーさんの本で、遠い遠い星の宇宙人と交信したとき「右と左」を区別するように伝えられるか、という問題があった。ただし、”共通に観察できる非対称な目標物がない”というのが条件。
つまりご飯を食べる絵なんかを送って、お箸持つ方が右とかいってはダメってことで、石英を光が通るときの曲がり具合とかなんかを使って右と左を伝えられるかという問題らしい。
科学者はけったいな問題を考えるんだなぁと感心してしまうのだけど、実は自然というのは左右対称じゃないってことを解明するためのひとつの問題でもあったみたい。
運転手さん「右ですね」
お店の人 「そうです」
運転手さん「駅に向かってるんですけど、逆じゃないですよね」
お店の人 「うーん、一緒じゃないでしょうか」
運転手さん「そうですよね。左右対称ですもんね」
お店の人 「さよう、大将」
あのとき、きっとこんな会話が二人の心の中で交信されたんじゃないかと思うんだけど。