テレビゲームが医療のいろんな場面で利用されているという。
「医師の研修、患者の教育、健康増進、中毒症や精神疾患の治療を目的とするゲームが何十種類と開発されて」いて、たとえば内視鏡の手術なんか、「少なくとも1週間に3時間以上ゲームをした医師は、そうでない医師に比べ、腹腔鏡手術中のミスが37%少なく、手術にかかる時間も27%短いことがわかった」という。
いろんな分野でかなりのシミュレーションがコンピューターでできるご時世だから、逆にそれに遊びの要素を加えたゲームなんかがあってもおかしくないんだろう。
もし若いころにそうしたゲームに接することができていたら、どうだったんだろう。パイロットのゲームとか、弁護士のゲームとかで遊んでいたら、また違った人生があったんじゃなかろうか。
今にして思えば、最初に出会ったテレビゲームが、インベーダーゲームだったのがよくなかった。
このインベーダーゲーム、ご存じない方のために説明しよう。一言でいうと、正面からくる異星人の吐き出す弾を、ただブロックの陰に隠れて右往左往しながらかわすという、なさけないほど消極的なゲームだ。
確かに日々、そばにいる異性人から繰り出されるお目玉を、右往左往しながらも避けるのは上手になった。でもだからなんだというのだ。
情けなく逃げまどうだけの人生には辟易した。
とはいえ、このゲーム、ブロックの陰から相手に向けて反撃の弾を打ち出すこともできる。そして徐々に接近してくる異星人を、こちらの防衛線にたどり着く前にやっつけることができれば、レベルアップした面へと進むことが出来る。だが、大体、次の面で撃破されてしまうのだ。
確かに、異性人への反論はときにはできるようにはなった。ときにトイレのフタの開け閉めからビールの本数というレベルアップした戦いへと進むこともある。男性だからフタを開けっ放しにすることぐらい、当りまえだ。それぐらいの主張は、勝利するに決まっている。
だが、ビールは3本までとだれが決めたのだ。どの医学書にその旨が書いてあるというのだ。そうしたとき、あのインベーダーゲームに熱中していたときを思い出し、一生懸命がんばるのだ。
だが、そこではゲームで培われた予感通り、やっぱり撃破されてしまう。理由も分からず、負けてしまう。
ああ、情けない。これ以上、このゲームの解説に字数を裂くことはできない。これ以外の説明も必要なさそうだし。
つまりはあんなゲームに熱中していた己が今を招いているのだ。こんなに気遣う日々が来ようとは。
いっそのこと、テレビゲームなどなければよかったのだ。
古きよき時代の遊びがたくさんあったはずだ。メンコやトランプやケンケンといった、心を通わすゲームが。
そういえば、幼いころ、めくったカードを覚えておくトランプの神経衰弱が得意で、よくほめられたものだ。ああした人と人がじかに交わるゲームこそ、人生を豊かにするのだ。
あの神経衰弱みたいなゲームを一生懸命続けていれば……って、やっぱし神経すり減らす生活になってるのね。