「泥の河」 

「小説”泥の河”の碑が近くにある」4月から大阪の土井堀川近くでひとりで生活することになった高三の息子がそう語った。太宰治賞を獲得した宮田輝の作品だという。
知らなかったのでネットで取り寄せ読んでみた。

舞台は昭和30年、戦後のにおいがまだ強く漂い続ける大阪の河川沿いで食堂を営む家族、そこに集まる労働者、それと船上生活を送る、戦争で主を亡くした母と幼い小学生の姉弟、そうした人々が織りなす物語だ。
短編でいろんな人の生き様が現実味を帯びて描かれているかと思うと、河に棲む非現実的な”強大な鯉”が出てくる。

ひとは運命には逆らえない。抗えない力を運命と呼ぶのだろう。
同じような言い回しだが、でも少し違うのではないかと、読み終えてふと思う。
リンゴは勝手に落ちるわけではない。この天体との力関係で落下する。それを理解するのと同じように、その力を認識するとしないとには大きな違いがあるような気がするのだ。
小説に出てくる“巨大な鯉”はその運命のメタファではないだろうか。

君が今、改めて本を紐解いたら、なにを思い浮かべるのだろう。昨年、”ちょっと旅行に行ってくる”とだけ書いた行き先のないメモを残し、少ないお金で1カ月かけてその国中を歩いたタイの光景だろうか。

出会った人々、目に入ってくる風景、今ならそれぞれの周りを漂っていた“巨大な鯉”を思い描けるかもしれない。

いずれにしろ君は今までの高校をやめ、海外という新たな目標に向かって語学に学びの場を選びなおした。
短い期間だが、大変な試練が待っているはずだ。

奇しくも近くには土井堀川が流れている。つらいときはそこを泳ぐ“巨大な鯉”を心に感じればいい。

その鯉は、どこへ、そしてどこまで君を運んでくれるか分からない。でもこれだけは間違いなくいえる。

巨大な鯉は自ら育て上げて行くものだ、と。

がんばれ、心から応援している。