
言葉とは不思議だ。「院長が好きなビールを飲む」という文があるとする。誰しも院長がビールを飲んだという風に解釈するだろう。
だがこう表記されたらどうだろう。
「(院長が好きなビール)を飲む」
主語はないが、ビールを飲んだのは院長ではない可能性がぐっと高くなる。

医学のような、科学のような、ジョークのような日々のメモ:

言葉とは不思議だ。「院長が好きなビールを飲む」という文があるとする。誰しも院長がビールを飲んだという風に解釈するだろう。
だがこう表記されたらどうだろう。
「(院長が好きなビール)を飲む」
主語はないが、ビールを飲んだのは院長ではない可能性がぐっと高くなる。

幼い頃、アホな仲間と「蛙の唄」を歌ったことがある。
”カエルのウタが”のフレーズが終わり”キコエテくるよ”が始まると、他のやつの”カエルのウタが”が始まる、例の輪唱だ。
最初はいい。だが何人もの声が重なると仲間の声が大きくなってくる。そのときやつらがアホだと気づいた。もちろんこちらの声を聞いて、他のやつもこちらがアホだと気づいていたはずだ。
月を見るたびにある女流作家を思い出す。
大型新人ともてはやされていたころの作品に、空に浮かんでいる月をさりげなく”カミソリのような月”と表現しているくだりがあった。奇をてらいすぎる感じもないではないが、いつまでも心に残る表現だった。
それからは月を見ては、自分でいろんな表現を試みている。
こう見えても一点を見つめて集中するときがある。たとえば、ほかの人がビールを口にするときだ。集中している割には喉元がごくりと動く。
だが僧侶は違う。彼らが見つめるときは瞑想してるのだ。
通常、瞑想するときは目を閉じるものだが、今回は違う。わざわざチベットまで来たオーストラリアの学者から、一風変わったゴーグルをつけられていたからだ。
そのゴーグルを付けると、左右の目で違うイメージを見ることができる。
正しくない行為を不正行為という。いつもあこがれているが、小心者としてはなかなか実行できない。
とはいえ科学の世界ではやはり相当に敬遠される行為だ。歴史上どのような不正が行われてきたか関心のある方は、ネットで”科学、不正行為”で検索すればいい。ごまんとヒットするはずだ。
ただそこにあるのはある意味、事件として取り上げられているものばかりである。
では日常的に科学者たちは正しい態度で研究に臨んでいるのだろうか。ということで米国の科学者が調べてみた。

目立たない人生を歩いてきた。宴会の席でも先輩から「お前そこにオッタンカ」といわれてきた。そのせいだろうか、地球オンダンカといわれてもピンとこない。
しかしその兆候は明らかに進んでいるようだ。
医療という行為はある意味疑い深い性格が要求される。これは重要なことだ。たとえばほかの人が準備してくれた注射がほんとうに正しい内容なのか、いつも疑ってかかる必要がある。
だからだろうか。院長が下した診断をスタッフは疑いの目でみている。
今日のネタ元は短いものだ。短いからといってバカにしてはいけない。なんと”愛はセックスに勝つ”ことが明らかになったのだ。
題して”Love More Powerful than Sex, Study Claims”、つまり「愛はセックスより強し:研究で明らかに」。実は記者の紹介記事でかつ短いこともあってか、よく分からない部分もある。それを踏まえて紹介してみたい。