「北極の北には何がある?」という本を手にした。とても砕けた哲学書といった内容なのだが、そのなかに気になる件があったのでメモしておきたい。
表と裏にそれぞれアルファベットと数字が書いてあるカードがあり、図のように見えているとする。
この4枚のカードで「母音が書かれたカードの裏には偶数書かれている」ということが正しいかどうか、もっとも手早く調べるためにはどのカードをめくればいいか考えておくれってなことが述べられているのだが、これが案外むずかしい。
読んでいるとき迷わず”E”と”2”の二つを選んだし、きっと多くの人もそうではないかと思う。
でも正解はEと5だというのだ。これを理解するためのポイントは、逆のことについてはなにもいっていないということ、つまり偶数が書かれたカードの裏にはなにが書かれていてもいいということだ。以下本にあるその理由を要約してみる。
1.裏が偶数かを確かめるためにはEのカードをめくらなければならない→奇数ならこの仮説は間違い。
2.裏が母音かを確かめるためには5のカードをめくらなければならない→母音ならこの仮説は間違い。
3.Eの裏が偶数で、5の裏が子音ならこの仮説は正しい。(2とFの裏になにが書かれていても仮説には影響しない)
なんだかゴチャゴチャしてるけど、よく考えてみれば”なるほど”、だ。”2”のカードをめくりたくなる理由について、人には「生まれつき仮説が間違っているかどうかではなく、正しいかどうかを確認したいという傾向がある」からだという。
とてもおもしろいと思う。それはいいのだが、でも少し話しを複雑にしすぎてはいないだろうか。もっと簡単にこの傾向を説明できるような気がする。
たとえば図のような裏表に色がついているカードがあったとしよう。もし「赤のカードの裏が青だ」ということが正しいかどうか手早く調べるためにはどのカードをめくればいいかという問いだったらどうだろう。
間違いなく人は赤のカードを選ぶだろう。そして多くの人が青のカードもめくりたくなる衝動を感じるのではないか。あるいは実際に青も選択する人がいるかもしれない。本に出てくるのと同じような”傾向”を示したいのであればこれで十分のような気がする。
そしてこう単純化すると別の問題が見えてくる。仮説が正しいか間違っているかを確認したい傾向というよりは、ひょっとして仮説を正しく理解できていないのではないかという疑問だ。
つまり「AならばB」が正しいならつい「BならA」も正しいと勘違いする傾向にあるのではないだろうか。それを確認したい衝動にかられているような気がするのだ。
なにか解ったような解らないような、複雑な気持ちになるメモでございました!
私的には赤いスカートの女性は白いパンツだ・・
てな具合の実験なら楽しいと思います。
コックのおっさんのシュールな台詞がステキです。(笑)
あすかのふるさん>
メモしてて、毎回なにか解ったような解らないような気持ちになってます。
tamakitiさん>
その実験ならいつも頭のなかでやってます。