happy birthday

南の島のしきたりも日本と一緒だ。すべてはカミさんが決める。
その夜も、そうだった。

予定はすでに チャモロ族の舞踊を見ながらのBBQ が組み込まれている。ホテルからの送迎バスに乗り込み、会場のある海辺に着くと入り口にチャモロの衣装をまとった男女が迎えてくれた。
そして受付でチケットを出すと、窓口のおばさんが、「happy birthday」と声をかけてくるではないか。

え、なんで知っているんだ。確かに3月はこのおやじの誕生月だが、ノーベル賞を取るまでにあと数年はかかるはずだ。その年数の間にノーベル賞の研究課題を見つけなくてはならない身分なのだ。それなのになぜ知っているのだ、という驚きより、ああ、カミさんが事前に知らせていたのか、という思いの方がはるかに大きかった。

ついでに、おばさんはがショーが終わったらサプライズがあると陽気に付け加える。楽しみではあるが、なんであるのか、これは想像がつかない。

ままよとばかりに会場に足を踏み入れると、大海原を背景にテニスコートほどの舞台がこしらえてあり、100近くあっただろうか、それを囲むように半円状にテーブルが並んでいる。
きっと誕生日サービスなのだろう、席は舞台のほぼ中央、前から数列目で全体がよく見える場所だった。

チャモロの女性歌手がギター片手に脳のアルファ波を刺激しまくる曲が半ときほど流れたあとショーが始まる。

古来から、自然であれ敵であれ部族を守ろうとする勇者の姿は似たようなものだろう。このオヤジでも槍しかない時代に生きていれば家族を守るためには同じようなしぐさ、つまり槍を突き、自然に祈り、ビールをあおることをするだろう。

だがそこで披露された武芸はオヤジが百万人いても太刀打ちでいないほどの洗練されたもので、男女の想いのストーリーと相まって進行し見事としかいいようがない。チャモロ文化とはそういうものなのか、と納得してしまう。

途中でちょっとした余興として場内の男性客4,5人が舞台に上げられ、いろいろいじられるのだが、それもショーとして磨きがかけられたものだった。

で、ふと思った。
サプライズって、ひょっとして壇上に引き出され年でも聞かれるの? まぁいいけど、じゃあ、ちょっとした「見栄」とウィットで答えてみようかとひそかにアイデアを練る。

First I excuse.I am very drunk and very poor English speaker.I can’t tell you my age. Age of my young wife is half of mine.If I said,you will know her age.It’s too terrible.

だいたいそんなもんだろう。ってな感じで頭のなかで舞台の進行の合間にリピートしていた。
そしてショーも終わりそうで、にわか尿意を感じた。さすがに舞台に立ったとき垂れ流してはまずいだろうとトイレに急ぎ駆け込み、そしてテーブルに戻ってくると、なんと衣装をまとった20人近くがテーブルを囲んでいるではないか。

会場の多くの客は帰途につくため席を離れはじめている。カミさんの早く早くの声がなくても、急いで席に戻り、あわただしく始まった happy birthday を一緒に歌う。

考えてみて欲しい。舞台を見て、なんとチャモロの人たちはすばらしい文化を持っているのだろうと感激していたのだ。そのひとたちがそばに来て祝ってくれたのだ。
日本でいえば歌舞伎役者が舞台から降りてきてハピーバースデイを歌ってくれるようなものだ。

本当に感激に満ちた瞬間だった。変な「見得」を切らずに本当によかったと思う。

(Thank you my wife)