なわとび大会

子供の学校で小学校最後のクラス対抗戦なわとび大会がある。そこでクラスの生徒が担任にある提案をしたという。
「負けたら宿題は普段の量の倍、勝ったら宿題はなし」
この提案は受け入れられ、クラスの仲間は練習に熱を入れているとのことなのだが、ふと疑問が頭をよぎった。


「がんばるから、その成果が出たら宿題はないってことにしてね」という流れは理解できる。払った努力に対してなんらかの対価を要求しているわけだ。でも負けたら倍、ってところがどうも腑に落ちない。
あるケースには自分たちに有利な条件を提示しているのだから、相手にとっても有利な条件が生じるケースを付け加えないと提案としてはあり得るだろう。でもそれがなぜ倍量なのか。
しばらく考えて、この提案の根底には誰と勝負しているかが不明なのではないかとの疑問がわく。
仮に先生と勝負しているのなら、先生も宿題をしなければいけないはずだ。「はい、明日までに漢字ノートに同じ漢字を二十回、十個の漢字について書いてきなさい」これが宿題だ。そんなことをきちんとやっている殊勝な先生がいれば、祝、大先生、ともてはやされることだろう。が、普通先生は生徒の宿題はしない。
だから先生とは勝負をしてないのだ。ではだれと勝負しているのか。思うに現実にはちょっぴり胴元に入ってくるはずのテラ銭はこの際無視すると、先生は、ルーレットの胴元、それも赤と黒だけのルーレットの胴元で、生徒の提案はその赤と黒にかけるようなものなのだ。
ただ、この場合、場に置くチップは”マイナス”の効果を持つもので、当たればマイナスが増え、それを宿題の量に当てると減量される、といった類いのものだ。
では負けるとどうなるのか。普通のルーレットと同様、チップがなくなるだけではないのか。つまり宿題の量を引くことができなくなるだけなのだ。
だからクラスの子の提案は「勝ったら宿題はなし」でよかったような気がするのだが、どうだろう。