「その世」

「ぼくたちはどう老いるか」(高橋源一郎さん)を読んでみた。関心を引いたのは著者が院長と近い年齢というのもあったが、間違いなく「ぼくたちはどう生きるか」のオマージュがあったからだ。きっと「おじさんたちはどう老いるか」だったら手にしなかったかもしれない。

老いや死を迎えるにあたっての心の準備が述べられている。
その中に谷川俊太郎さんの「その世」という詩が紹介してあった。

この世とあの世のあわいに
その世はある

で始まり

この世の記憶がかすかに残るそこで
ヒトは見ない触らない ただ
聴くだけ

で終わる詩だ

なにを聴くのか、それはきっと自分の言葉しかないだろう。

「その世」とは、それを耳にしながらこの世を去ることに対する潔さ,あるいは未練がましさを、右左に動かす音量レベルのように調節する”間”だと、勝手に解釈した。

ピンピンコロリ、という言葉がある。自分の言葉を聴く時間もなく逝ってしまうから、レベルを調整する必要はなく、老人の間では憧れの最後の迎え方で、選ばれた人しか迎えられないとまでいわれている。

そうしたきっぱりとこの世に区切りをつける方法あるいは考え方が述べてあるかと思ったが、どうやら高橋源一郎さんも、どうレベルを調整していいのか迷っておられるとみた。

レベルの調節はひとそれぞれで、それは避難されるべきものでもない。

それにしても題名が「ぼくたちはどう”あば世”するか」だったら手にしていたかどうか、などと考えている院長には「その世」を迎えるときは結局慌てふためくだけのような気がする。