「量子超越: 量子コンピュータが世界を変える」(ミチオ・カク)にごくわずかに紹介してあったモリエールの喜劇だ。
『偽医者やいかさま師とほとんど変わりはなく偉ぶって施す「治療」は患者の状態を悪くするだけのことも多かった』というくだりで紹介されていた。
ネットで調べると、17世紀では、金持ちはお抱えの医師を持つことができ、貧乏人はくすりなど手にすることなどできず、そのおかげで医療には迷信や権威主義に満ちていた という。
その後の公衆衛生の発達と17世紀に広がった戦争によって貴族は医療をその手から解放せざるを得なくなり、やがて現在の医療につながる。そしてさらには量子医療への可能性へ、と話は流れていく。
興味を引きさっそくネットで手に入れ読んでみた。
酒好き女好きの木こりのおやじが医師にまつり立てられ、でたらめなラテン語などを口走りながら治療を行う、到底ありえないほどのばかばかしい喜劇だ。
きっと「なんば花月」ででも上演されれば、そこそこの評判を得られるかもしれない。間寛平さんあたりが主役にぴったしだな、などと観劇を想像しながら読み進めたが、いやいや、もっとふさわしい人物がいることを思い出した。
竹田くんだ。
つい先日、この医療事件について司法の判断が下りたという。
いろんなことを考えされられる。
医師に絡む問題というのは、もちろん個人的な資質によるものもあるだろう。この事件はその点が顕著に表れた事案であるような気もする。
だが少なくとも一人歩きしている思い上がりの”医者の権威”、それもきっと空虚な権威が大きな要因として背景にしっかりとあるのではないだろうか。
ほかの医者から治療を受けた患者から聞いた忘れない話がある。
治療がうまく行かなかったとき、疑問を口にしたらその医師から「自分をだれだと思っている」と責められたという。ごく一介の開業医であり、なにか特別な資格でもお持ちだったのかもしれないが、そんなことを患者は知るわけもなく、そもそも
なぜそういう返答を患者が受けなければならないのか、さっぱり理解できない。
花月で演じられれば、笑いが取れる場面かもしれないが、そうした人が舞台から下り現実に登場すれば、ただただ患者や家族、周辺の人たちにとっては、かぎりない悲劇にしかならないのだ。
