博多管区気象台

「本日は、お日柄もよく」に出てきた「あー、とか、うーとかいう」スピーチをする件のところで思いだした話がある。30年前に書いたもので、以前「院長室」の隅に置いていたのだが、サイトをいろいろ整理した際に外していた。
そうか、もう30年も経つのか。いったい何をしてきたんだろ。そんな感慨にふけりながら再掲しておこうかと。


博多管区気象台

「こんばんは、久米です。今日のニュースステ-ションズはやはり気になる台風 情報からです。大宮キャスターから」
「こんばんは、大宮です。中型で並の強さの台風7号は長崎県対馬沖の南西百キ ロ付近を時速30キロの速さで北上しています。中心気圧は970ヘクトパスカ ル、中心付近の最大風速は40メートル、中心から90キロ以内で風速25メー トル以上の暴風、300キロ以内で10メートルの強風が吹いています。いまのところ大きな被害の報告はありませんが、今後九州直撃も予想され十分な注意が必要と思われますので、今後の台風の進路について博多管区気象台からつ たえてもらいます。 博多管区気象台の佐藤さん。あ、佐藤さんですね。よろしくお願いします」
「えー、博多管区気象台から、あー、台風の予想進路を、おー、お知らせします。 まず、うー、午後10時現在の台風の規模は、あー、中心気圧965ヘクトパス カル、うー、中心付近の、おー、最大風速は、あー、40メートルで、えー、依 然、んー、並の勢力を保ったままです。うー、中心から、あー、300メートル 以内で、えー、15メートルの、おー、強風が、あー、吹いています。うー、五 島列島観測所は、あー、午後9時12分、んー、最大瞬間風速42メートルを、 おー、記録しました。あー、各地の雨量は、あー、串木野市で、えー、50ミリ、 いー、鹿児島市で、えー、30ミリ、いー、長崎市で、えー、27ミリを記録し ています」
「あのう久米ですけど、佐藤さん。ご説明いただいている最中申し訳ありません が、内容は伝わるのですがちょっと耳ざわりなもので。えーとかあーとかちょっ となんとかなりませんでしょうか、佐藤さん」 
「あ、あー失礼しました。あー、テレビ慣れしていないから。あー、そんなに言 っていましたか。あー、ときどき注意されるのですが。あー、今日は、あー、い つもにもまして緊張していました。あー、それでは、あー、今しがた、あー、入 ってきた情報を元にした、あー、進路予想をしますと、今夜半には、あー、台風 7号は、あー」
「あー、で統一されちゃいましたね。ま、あいうえおが混じったさっきのレポー トよりは聞きやすいですけど」
「なんかおっしゃいましたか、あー」
「あ、佐藤さんこちらのひとりごとです。続けて下さい」
「はい、わかりました。あー、このままで行きますと今夜半すぎに、いー、対馬 列島沖合い、いー、50キロのところに、いー、位置する高気圧に、いー、はば まれてしまい、いー、やや停滞気味に、いー、移動し、いー、あすの明け方まで に、いー」
「わ、今度は、いー、でまとまっちゃいましたね、大宮さん」
「そうですね。佐藤さん自分で気づいていらっしゃいますかね」
「ごめんなさい。いー、どうもうまく口が動かなくて申しわけない、いー」
「あ、久米です。佐藤さんこちらのつぶやき聞こえてました」
「はい、いー」
「よく語尾にあーとかいーとか言うひとがいますが佐藤さんのは極端に多いです ね。ごめんなさい、台風とは全く関係ありませんが」
「そうでしょ。おー、よく言われるんですよ、おー」
「そう気になさらずに続けてください」
「はい。いー、大宮さんどうもありがとうございます、うー」
「佐藤さん、久米です。視聴者のみなさんもちょっと気にかかるものがあるかも しれませんからなるべく注意しておしゃべりになっていただきたいのですが」
「はい。いー、分かりました。あー、今から、あー、十分、んー、注意、いー、 しながら、あー、話したいと、おー、思います」
「佐藤さん、あのうまさかとは思うのですが、あーとか、いーとかわざとじゃな いんでしょうね」
「とんでもない。なんでわざと言わなくちゃいけないんですか。最近台風がちっ とも来てくれないものでなかなかテレビに出る機会がなくしゃべりの感がつかめ ないだけですよ」
「ちゃんと言えるじゃないですか、佐藤さん」
「あ、そうでしょ。おー、仕事のことを忘れると、おー、結構口は、あー、なめ らかになるんですけどね。えー、仕事していると思うと、おー、緊張してしまう んですね、えー」
「うそみたいにさきほどは流暢でしたけどね」
「久米さん、そう責めちゃかわいそうですよ。わざとなんかじゃなくて報告しな くちゃいけないと思うと緊張なさるかたなんじゃないでしょうか。佐藤さん、少し緊張し過ぎておられませんか。少しリラックスしましょうか。 深呼吸でもなさったらいかがですか。わたしも一緒に深呼吸してさしあげますか ら。さぁ、はい。吸って吐いて、吸って吐いて」
「ありがとうございます、大宮さん。おかげでだいぶ落ちつきました。わたし大 宮さんの昔からの大ファンなんですよ」
「はぁ、そうですか。それはどうもありがとうございます。少し緊張がほぐれま したか」
「はい」
「やっぱり、緊張のし過ぎだったんですね」
「ぼくにはどうもそう思えないんですけどね。佐藤さん、リラックスされました か」
「はい、いー」
「やっぱり違うような気がするんですけど、それは横に置くとして結局台風の今 後の動きはどうなるんでしょうか、佐藤さん」
「う、やっぱり問題はそこでしょう。うー、対馬沖に停滞して足踏みする、うー、 台風7号はやがて風立ちぬ、うー、小雨そぼふる、うー、熱帯低気圧になる、う ー、かもしれぬ、うー、運命におびえつつ、うー」
「なにか無理がありませんか、佐藤さん」
「とんでもありません」
「分かりました。もう追求しないことにしましょう。ところで佐藤さん、さきほ どから佐藤さんの原稿を読まれる映像しかこちらには届いていないのですが。地 図かなにかの絵でご説明いただけないでしょうかね」
「え、絵ですね、えー、絵、えー、絵はどうしたっけ、えー」
「佐藤さん、久米ですけど。やっぱりふざけているでしょう。さきほどからうか がっていますとあーいーうーえーの順になっていますけど偶然ですか」
「なんば言いよっとですか。そんなことなかですたい。あ、つい博多弁が出てし まいました。あー、失礼しました。でもねそんなことは絶対にありませんよ、久 米さん。一所懸命みなさんにお伝えしようとしています。分かっていただけますよ ね、えー、大宮さん」
「ええ、なんとなく」
「まさか、お、まで言うつもりじゃないでしょうね、佐藤さん」
「久米さんまさかでしょ、おー、おー。これはじょうだんです。もう大丈夫です。 だいぶカメラに慣れましたから。あー、ではこれからここに準備してある九州の 絵を用いて説明します。もっとも西よりのコースを進みますとこの緯度、ちょう どここですね、この緯度にそって西に向かい、いー、もっとも東よりのコースを 取る場合には同じ緯度、ここですね、この緯度の反対側を進むことになります。 うー、こんな風にですね、えー、台風が進む可能性があるわけですよ、おー」
「ちょっと待ってください、佐藤さん。もっとも西よりのコースを進むと真西に 向かい、もっとも東よりのコースを進と真東に進むといいうことですか。なんと なくあたりまえのような気がするのですが」
「わたしもそう思うんですが、佐藤さん」
「実はそこが予報のむずかしいところなんですね」
「そうなんですか。なんとなく分かるような分からないような。で佐藤さん、台風は九州に上陸するのですか、しないのですか」
「このままの進路をたどればですね、えー、ほら線をずうっとのばしてみて下さい。よく見ていて下さいよ。いままで台風の通ってきた線をなめらかにのばして いけば、ほらね九州を避けてとおっているでしょ。高気圧の影響や北に位置する ジェット気流の動きで、夏型台風特有のジグザクした進路を取る可能性もありますが、この線上を台風がとおるとすれば、九州直撃は避けられますね」
「なるほどなるほど、その話はよく分かりました。最初からそういっていただけ ればありがたかったのに。ねえ大宮さん」
「そうですね」
「最初からお話しするとすぐねたが切れてしまいますから」
「佐藤さんっておもしろいかたですね」
「えー、ありがとうございます。今日は大宮さんとおはなしできてよかったです」
「佐藤さん、どうもありがとうございました」
「いやどうも失礼しました。不慣れなもので。お聞き苦しかった点があったこと 、おわびします。ごめんなさい」
「いえいえ、わたしもずいぶん失礼なことをいってしまったみたいで申し訳あり ません。大変でしょうが引き続き観測のほうお願いいたします」
「はい。以上で博多管区気象台を終わります」
「最後はわかりやすい流暢な解説をしていただきました。結局九州上陸の可能性 はかなり少ないということでしょうね。久米さん」
「ということですね。えー台風情報をくりかえします。中型で並の勢力を保った まま台風7号は九州西部を北上しています。九州上陸の可能性は現在のところ低 いようですが引き続き警戒が必要です。 じゃひとまず、コマーシャルです。えーとコマーシャルに入りませんか。えーなんですか、混線してるようですが」
「あーとかえーとかでも言っとらんと時間が持たんばい。天気予報なんてちゃん ちゃらおかしか。天気予感ぐらいの名前でちょうどいいと。あしたは晴れのような気がしますぐらい言うときゃそれでよかとよ。あんた、知っとうや。バタフライ効果ちゅうのがあるのを。チョウチョが中国 で羽ばたきゃアメリカで嵐が起こるかもしれんちゅうやつたい。これはものの例えやけど要は天気がどう変わるか本当はよう分かっとらんとよ。博多もんは7月15日の山笠が終わればだいたい夏がくるちゅうぐらいの感覚 でお天とさんの移り変わり感じときゃそれでちょうどよかと。お、台風のやつ、進路ば変えて九州を狙ろうてこっちに来ようごとある。早よ う家に帰って雨戸閉めんと」
「佐藤さん、久米です。佐藤さん、まだマイクがつながっているようですが。佐 藤さん、佐藤さん」                       
                           

(付記)

 1994年7月に発生した台風7号はこの話とは異なり南東より九州に接近し た。赤道付近で生まれた台風7号はコリオリの力で順調に北東に向かって進んで いたが、太平洋に張り出していた高気圧にその進路をさえぎられ、北緯25度あ たりでその向きを北西に変えた。そのまま進めば九州南部への上陸も考えられた が、東シナ海にあった高気圧によりまた向きを変えられ、九州の東部をかすめる ような北東の進路に移った。その後もう一度北西に向きを変え九州と四国のあい だにある豊後水道を通って日本海に抜け熱帯低気圧になった。要するにわたしたちが見慣れている地図で表現すると右へ行ったかと思えば左 に行き、左に行ったかと思えば右に向かいさらに左へ方向転換するという文字通 りの右往左往をしながら進んでいったのである。
 有史以来、天気を予想するということにさまざまな英知を傾けてきた人類が自 然のなかの偶然を理解しようとするカオス理論の端緒を気象学に見いだしたとい うことは決して偶然ではないだろう。そうした理論とスーパーコンピューターを駆使して科学者たちは大気の動きを 把握しようと日夜奮闘しているのだが、しかしつかまえたと思うとするりと指の あいだをすり抜け、気ままに、彼らをあざわらうかのように大気は逃げまわり続 けている。台風7号の動きが遠く南の太平洋上で微妙な変化を見せ始めた頃、四国への接 近をだれよりも確信していたものは予報官ではなく、異常な渇水が続いたため四 国のある都市で公になされた雨ごいをとりおこなった祈祷師たちであっただろう ことは想像に難くない。ちなみに7月24日深夜近くの台風情報でテレビに登場した福岡管区気象台の予報官はここに出てくる佐藤某の最初の語り口とほぼ同じ調子で話しておられた。

(1994年7月)