ボタンを押さない日はない。朝起きてから、部屋の電気をつけるのもボタン。炊飯器のスイッチもボタン。瞬間湯沸かし器もボタン。
でもよく考えると、ボタンのない時代があったはずだ。
そもそも押すべきボタンが生活のなかに入ってきたのは、いつ頃からなんだろう。ボタンといえば電気製品を思い浮かべるから、やはり電化が始まってからの話なのだろうか。
今からメモすることは、曲がりなりにも、坊ちゃんと呼ばれていた幼い日の出来事だ。きわめて個人的なことだったのかもしれないが、あえてメモしてみたい。
卓上スタンドのボタンを押しても点灯しなかった。そのとき、ボタンを無意味に何回も何回も強く押したのだ。
そうした動作は電気の流れには全く関係ない。軽く押そうが強く押そうが、接触さえすれば電気というのは流れるものなのだ。それくらいは理解できる分別を持ち合わせていた年齢だったのに、ボタンに願いをかけ、強く押し続けた。
テレビのリモコンもそうだ。電池切れかリモコン自体の故障か忘れたが、ボタンを押してもテレビが点かなかった。そのときもボタンを押し続けたのだ。
一体あの行為は何だったんだろう。電気製品などなかった遠い時代にボタンを押し続ける行為が必要なことがあったのだろうか。ヒトの進化の過程でなにか意味を持つ行為だった可能性はないのだろうか。連休のさなか、ビール片手に”ダビンチ.コード”を読みながら考えたが、分からなかった。
でも本を閉じたあと、ふとひらめいた。
ひょっとしたら、”坊ったん、違う”と諭してくれる大人がいなかっただけかもしれない。
まぁいずれにしても大人になってからは、そんなバカなことはしでかすわけがないと高をくくっていた。でも違った。このサイトを見れば事情をご理解いただけると思う。
このボタンは哲学的でもある。
王様は2回転目もクリックし続けてしまった。
私も押し捲ってました・・・
英語なんてわからしないのに・・・。
ところで、リモコンが動かないときは 振るか たたくかじゃないですか?
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きわめて有効な手段だと考えます。ときにはテレビも降ったり、叩いたりします。