cancel culture

cancel culture について語りたい。
この言葉を初めて聞くような輩は、言葉は悪いが時代の流れについていってないアホな連中だ。
院長も数日前、ようやくその流れに乗ることができた、と考えていたのだが、どうやらきちんと乗っているかどうか、少し怪しくなっている。

この言葉にたどりついた経緯はこうだ。
恥さらしの跡は確実に増えているのだが、一向に向上の跡が見られない英会話学習をいまだにつづけている。
数日前もネイティブを囲んだ数名の学習の会に参加した。

話題は米国の大統領選になり、誹謗中傷が飛び交う状況について先生が語った言葉のなかに cancel culture があった。
聞いたことがなかったので、please explain it more specific というといろいろ説明してくれたのだが、十分聞き取れず workplace で 政治的な left とか right とか あるいは fired などといった言葉から推測できたにとどまり、表向きはさも理解できたかのように大きくうなずいたものの、また恥の上塗りをしている自身のなさけなさを感じるばかりだった。

帰宅後せっかくだからネットで確かめてみた。
ローマ教皇フランシスコさえもこの言葉について一言持っておられるようで
ネットサーフィンすればするほど、この言葉のもつ複雑な様相が露呈してくる。
つまりはSNSなどを介して世の常識から逸脱した個人や団体の言動を非難し社会的に追い込むような文化ということになるのだろうが、その是々非々を問うのは難しいケースがある。

たとえるなら、善意の小さな小石が問いただそうとする対象に向かって流れだし、それがネットでさらに集まり大きな流れとなって対象を表舞台から押し出そうという動きだろう。
ただその流れのなかには汚れた石やゴミや流木など善意から距離を置くものの投げ込まれていくこともあるため、事態が複雑になっているのだろう。

たとえは流石だと自画自賛するが、どこまでアホから離脱できているのか正直自信がない。
とはいえ、落選したが議事堂を占拠しそれを cancel しようとするような文化だけは、同じ民主主義の恩恵を被る人類の一員としてなんとか勘弁して欲しい。