リスペクト

映画、「ジュラシックワールド」を観た。恐竜を調教できるオーウェンにマルコム博士がどうしてそんなことができるのか質問すると、彼はこう答える。
「お互いにリスペクトすること」

おや、これって昨日読み終えた森田真生さんの「僕たちはどう生きるか」に似たような表現があったぞ。帰ってからさっそく本を紐解く。

「ウイルスから気候まで、あらゆるスケールにわたる他者を思い描き、いたわることができる生物種もまた、この地上には人間しかいない」。これこれ。

ふたつのリスペクトは同じ線でつながっている。それは自然や生き物と同じ目線に立ってものを考えるということだ。

しかし一方で人には富を持つ人をリスペクトする習性があるのも事実だ。

「日本経済新聞」には「特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1500兆円)」とある。とんでもない富の不均衡があるのに、人は富者をリスペクトする。

そして明らかにこれらの富の一部は人間の環境や自然破壊の代償として得られたものだ。

この二つのリスペクトは両立できるものなのだろうか。そもそも富者へのレスペクトの根っこはどこにあるのだろう。
「ジェラシーワールド」を観てそんなことを考えた。あれ、なんか違う。