シネマ

cinema

 かつての映画館には秩序がなかった。二階の桟敷からはものは落ちてきたし、評判の映画では立ち見は当たり前だ。罵声が飛び交うこともめずらしくなかったのだ。


 それに比べ今の映画館はなんと心やすらぐ空間であることか。席を争うこともなく館内のざわめきも映画の進行に合わせて起こるのが関の山だ。
 だがそんな状況でも騒動が起こる。2月11日の新聞記事で触れられた事件について、さらに想像の翼を羽ばたかせながら紹介してみよう。
 オーストラリアからの旅行者、クレイトン女史はきっと無類の映画好きのはずだ。その証拠にテキサスのある街に旅したときも映画館に入っている。そしていつものように胸をときめかせながら映画に見入っていたのだろう。だが、その日は銀幕の進行とは別のドラマが始まろうとしていた。上映も半ば過ぎたときだ。
 ドラマは映画の開幕のように館内に静かに鳴り響くベルで始まった。女史のそばで奏で始めた音はすぐに携帯の着信音だと知れる。だれかが電源を切り忘れたのだ。うっかりものは周囲に気遣い、あわてて携帯を取り出して音を切るはずだ。誰もが思うように女史もそう考えたに違いない。そしてそばのオバハンがごそごそ動き始めるのを感じた。これでまた映画に集中できる、女史はほっと胸をなで下ろす。
 だがドラマはすでに次の章に入っていた。なんとそばのオバハンは携帯を手にすると話を始めたのだ。
 尋常ならざる展開に女史はあわてた。たまったもんじゃない。女史はオバハンに分かるように唇に指を当て、「シー」と黙るように抗議した。だがオバハンは無視してしゃべり続ける。女史のテンションも上がっていく。
 そして最終章へ。注意を促そうと女史は立ち上がりオバハンの腕を叩いた。だがちょどそのときオバハンの携帯は切られたところだった。
 「なにすんの」オバハンは逆に切れてしまった。そしてプライベートが侵されたと女史を告訴したのだ。
 二人を外に連れ出して事情を聞いた警察官たちは女史に同情的だったとか、非番でたまたま館内に居合わせた警官も女史が些細な罰金で済むように願っているなど、いくつかのドラマのあとがきが述べられているが省略したい。ただ注目に値するのは女史が裁判のごたごたの間にも見損ねた映画の後半をみたいといっていることだ。
 やはりよほどの映画好きとみた。
院長 「やはり映画はいいですか」
女史 「本当にシネマはいい」
院長 「オバハンをどう思いますか」
女史 「いろんな人がいるものです」
院長 「憎いでしょ」
女史 「いいえ。それより映画が邪魔されたのがつらいのです」
院長 「バカ野郎と思っているでしょ」
女史 「そんなことより映画です」
院長 「コンチクショウと思ってるでしょ」
女史 「心からシネマいいと思ってます」
院長 「…」
女史 「あ」

ちなみに上映されていた映画は「Brokeback Mountain」だそうです。
ネタ元
Arrested for asking for quiet in cinema

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