ウェストサイドストーリー

スピルバーグのウェストサイドストーリーを観た。
アメリカ人のトニーとプエルトリコ移民のマリアの恋愛話だ。映画館を出たあと、彼らが歌う美しいメロディーが口をついて出たが、よく考えるととてもシビアな問題を扱った映画だと気づく。
それは民族問題だ。

民族の形成要因のひとつに進化論的な性淘汰圧があると信じている。
居住地に明確な境があれば、そこに住む人は、そこの住人により似た人を好むはず、ということだ。

映画では二人の愛は不本意ながら成就しない。マンハッタンのウェストサイドという狭い世界でも、この淘汰圧から逃れることができなかった、という話でもある。

ウクライナで人としての正義、すなわち理不尽な殺人への批判がなんらかの形で結実したとしても、この民族問題は残る。

いつの日かノーサイドストーリーの美しい画を見ることができるのだろうか。