笑われ続けた人生なのにいざ人を笑わそうとすると難しい。
そもそもなぜ人は笑うのか、その秘密を紐解くことができれば、このメモもすばらしくおもしろいものにできるだろう。だがそんなに簡単なことではなさそうだ。
笑いを研究している学者の説を紹介した記事があった。
対象を捉える二つの概念の不釣り合いが笑いを引き起こすと述べてあるようなのだが、今ひとつしっくりこない。それでもなにか参考になるかもしれないので私見を交えながらメモしてみよう。
たとえばこんな小話が紹介してある。
囚人と看守たちがトランプをしていた。だが囚人がごまかしたので、看守たちは怒って囚人を刑務所からけり出した。
つまり刑務所は囚うところであり、そこを追い出すという行為との不一致がそこにはあるから笑いにつながるのだという。
どうだろ。理解できただろうか。個人的にはあまりおもしろくない小話なので、もう少し検証してみたい。次のは今までで一番気に入っている小話の一つだ。
田舎を旅していた男が宿についた。トイレに行くとハエがうじゃうじゃたかっている。亭主に苦言するといわく、
「大丈夫、夕食のときはいなくなるから」
どうだろ。トイレにいるべきハエが食堂にいるという不一致が笑いに通じているだろうか。個人的には少し理解できたような気がするのだが。ではもう一つ、創作小話。
総書記「準備はできたか」
側近 「はい」
総書記「作戦名はなんだ」
側近 「一かば地下実験です」
これも現実を捉える二つの概念の不釣り合いだろうが、彼が笑いものになるのか、はたまた笑うのか、分からないところが難点である。
北朝鮮の核実験実施、可能性高い…米政府当局者(読売新聞) – 10月5日
ネタ元
Why we laugh at slapstick