書店に行くと、まるで見えない誰かがわたしの手をするりと撫で、平積みしてある本に仕向けたように、わたしは自然に手を延ばした。手にしたのは「禍」(小田雅久仁 著)だ。
恥ずかしながら初めて耳にする作家の名前だったが、著者紹介には日本ファンタジーノーベル大賞や吉川英治文学新人賞などいくつもの大賞を獲ったとある。。
作家の人となりや著作なりを知りたければChatGTPにでも問えば、そこそこの知識が得られるだろう。だがそれは水溜まりのような浅い貧しい知識に過ぎないかもしれない。
だからメモしておくことにする。
まず興味を引かれるのは、極めて表現が豊かだということだ。今、横にある本から適当にページを開き、拾って見るとこんな具合だ。
「初秋の冷気がするりと頬を撫で」とか「たとえ眠れたとしても水溜まりのような浅い貧しい眠り」とか、機会があれば一度は使ってみたくなる言い回しだ。
あるいは道にたたずむ主人公がバスのなかのひとりの客と目が合い、「つながった視線がながながと糸を引き、やがてちぎれた」などはどうだろう。
こんなのもあった。
「日一日と精力を増していく虚構を前にして、いきも絶え絶えの現実は、ひっくり返って柔らかい腹を見せていた」
この表現は小説全体の説明にもなっている。そう、この「禍」は現実から徐々におどろおどろしい非現実に移っていく怪奇物語の短編集なのだ。
その奇怪さはそんじょそこらにあるものとはかなり異なる。
本のページを文字通り破っては食い、そのなかの登場人物になったり、人の耳からほかの人が進入したり、髪の毛が世界を征服しようとしたり、と字面を追だけでは決して理解できないような奇怪さなのだ。
それを著者は巧みな表現で非現実なものを現実のものへと束ねて行き、読者をめくるめく奇怪な世界にたどり着かせる。
だが、世の中にはこれと同じぐらい奇怪なことが起こっている。
選挙中、政治資金や宗教問題などの議論を深める予算委員会を経て衆院を解散すると力説していた方が、当選したとたん、そんなことはせずに早く国民の審判を受けないといけないという。
やはり民と為政者の距離は遠いままなのか。つながった政治への期待ががながながと糸を引き、やがてちぎれる予感がした。