仏陀の写真はAnanovaからのものだ。
お値段125000ポンドの銅製のこの彫像は英国のあるアートギャラリーに展示してある。
注目すべき点はふたつだ。ただし気になる人にとっての注目点という意味だが。
まず供え物。バナナと、少し分かりにくいが卵が二つ置いてある。別に気にならなければただのバナナと卵だ。だが気になる人の目には違った風に映るようだ。
もう一つはこの像が通りを背に座っていること。実はこの仏陀は最初、通りの方を向いていた。別に気にならなければどうでもいいことだが、これも気になる人には通りを向いていたことはかなり神経に障ったらしい。
彼らは事態を警察に通報した。それを受けて警察がギャラリーにやってきた。そのときの様子をギャラリーのオーナーはこう語っている。
「公衆の目から見えないようにしないと仏陀を押収し逮捕するぞって脅かすんだ。しょうがないからしばらくの間、ショーウィンドウから回れ右させましたよ」
そのときの写真がこれというわけだ。
そのあとオーナーは彫像のすばらしさに気づき直し、もう一度通りに向けるわ、肝心の制作者も”異なる文化を容認すべきだ”などと言い出すわ、気になる人たちは”そんなのは価値がない”と主張するわ、警察は”宗教的に不快感を起こすようなものは目立つようにすべきではない”と圧力をかけ始めるはで、事態は混乱を深めているようだ。
さて、ここまで読んでいただければ、メモしているものが、気になる派か、どうでもいい派か、どちらに属しているかご理解いただけただろう。
別にシンボルそのものを表現しているわけではないし、仮にそうであっても東洋では男女を問わずそのシンボルそのものを御利益のある造形として堂々と掲げている神社仏閣もたくさんあるのだ。
ましてやこのギャラリーには飛行機が突入するところを背景に磔にされたキリストの像とか、ナチスのヘルメットの上に座るヒンズーの神などが展示されているというのだ。
それらにはなんの見解も表明せず、この仏陀像だけに批判が集まるというのはおかしいなことだ。
とはいえ気になるところがある。
結構りっぱな供え物ではないか。粗末な萎えたものしか持ち合わせていないものとしての判断かもしれないが、構図としてあまりに不釣り合いのような気がする。
そういう意味では、こんなものを供え物にすべきはないというのが個人的な意見だ。
私は”どうでもいい派”で~す!
そうですよね、どうでもいいですよ。こんなメモなんか。