キーや携帯をはじめ、ものの置き場所がときどき分からなくなることがある。仕方なくどこやここやと探し始めるのだが、そうしたとき、なぜか時間の無駄を強く意識する。
といって捜し物が嫌いというわけではない。
同じような二つの絵を比べて、その間違いを探す”間違い探し”や、有名な「ウォーリーを探せ」など、ゲームとしてなにかを捜すときは、時間など気にせず没頭できる方だ。
なにが違うのだろう。
決定的な相違は、一方には答えがあり、一方には答えそのものの有無が分からないということだろう。
ゲームの場合は、捜し物がそこに”ある”、というのが前提だ。だから探せば”ある”。百年掛かろうとも、探せばあるのだから、探す時間は無駄に感じない。
でも物探しの場合は違う。一通り探しても見つからないとき、人は次になにを考えるのか、経験した方なら容易に想像できるだろう。
もう一度物をなくすまでの自分の行動を振り返り、あげくは捜し物が探すべき場所にそもそもあるのかどうかということまで、疑い始める。
焦燥感が伴うのも無理はない。
つい先日、米国情報局がイラクには結局何もなかったと発表した。あの”家捜し”は一体なんだったんだろう。歴史的な無駄じゃなかったのだろうか。
このサイトで捜し物をするぐらいが、大統領にはお似合いだったのかもしれない。
(毎日新聞)4月27日
イラク・フセイン政権の大量破壊兵器を捜索していたCIA主導の調査チームは26日までに、昨年10月に提出した最終報告書の補足版を公表。この中で、大量破壊兵器がイラクからシリアに移動されたとは考えにくいとの結論を示した。一方で、治安状況悪化などで捜索が不完全だったと指摘、追加調査を行うよう提言した。
osamaはオサマ・ビン・ラディンであり、決してousamaではありません。
オサマを全部探し当てた、王様でした。
”OSAMAさんを探せ”、はどうもサイトの都合で見られなくなっているようです。
結構おもしろかったのに、残念。
そんなことアルカイダ、ぎぃりー。
「Osamaを捜せ」ができなくなっている。
王様が全部探し当てたからかな?面白かったのにね。
小さな画像しか 見れません(U_U;)
その前のは おっぱいぼよょん ってなったのに